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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4815号】宣教師からの声 番外編 アメリカンボードのパイオニア婦人宣教師 佐伯裕加恵 (神戸女学院史料室)

2015年2月21日

 「街で出会う少女たちの多くは大変魅力的に見え、わたくしは彼女たちと話し合えるようになりたいと切に願っております。わたくしは、当地にありますことに、またこの小暗い国に福音の光を与えるために何かをなし得ようという望みの故に、深い感謝を捧げるものでございます」(1873年4月12日附タルカット書簡第313号)。

 1873年3月31日、2人の女性が神戸の地に降り立ったMiss Eliza Talcottと Miss Julia E1izabeth Dudley、この2人がのちに神戸女学院を創立する。2人は、アメリカのボストンに本部のある海外伝道団体 American Board of Commissioners for Foreign Missions(通称アメリカンボード)から派遣された初の独身婦人宣教師であった。

 冒頭の手紙はタルカットが日本から初めて本部へ出した報告書簡の一節である。彼女たちは日本女性へのキリスト教宣教の使命を胸にこの地にやってきたのである。2人はこの年秋に、早くも私塾を開く。日本人たちが「外国語だけで聖書を読めるようになることを願って」(1874年5月16日附タルカット書簡第315号)、小さな私塾を運営する傍ら、2人は各地に伝道のため赴いている。タルカットは播州へ。ダッドレーは三田へ。

 「必ずやこの国は、まもなく、たくさんの子女を『主の道』における指導者や教師として擁することになりましょう。わたくしが三田から戻りましたとき、2、3の母親がわたくしに申しました『自分たちの娘たちをあなたに連れて行ってもらいたい、そして自分たちにできるよりもよく、娘たちを教え導いてほしい』と。また、該地滞在中、日に2度会っておりました少女たちは泣いて、わたくしについて来ようとさえいたしました」(1874年6月20日附ダッドレー書簡第71号)。

 ダッドレーの三田伝道の成功が、神戸に女子のための寄宿学校を正式に開校するための後押しとなった。1875年10月12日、「少女たちが一層直接的な感化に与れますようなホーム」(同上)、「女学校」が誕生する。「単に宗教教育のみではなく、彼女たちが他の人々の教師となってやってゆけますような、世俗の訓練をも受けられる学校として」(タルカット書簡第315号)。

 学校は順調に発展する。しかしタルカットもダッドレーも学校だけにこもっていたわけではない。積極的に家庭訪問や伝道を行なった。

 「わたくしは学校の重要性を無視するつもりはございませんが、しかしながら、全く学校に参りませんでも、わたくしの時間を全て費やして余りあるほどの仕事を見い出し得るのでございます。時には本当に、家庭の婦人たちの間での活動が有望なものですから、わたくしがより広い視野に立ち、わたくし共の仕事は将来どれほど多くこの少女たちのお蔭を蒙ることになりますかを実感いたしませんと、学校での仕事にはほとんど満足を感じさせられなくなります」(1874年12月1日附タルカット書簡第316号)。

 創立から5年後、遂に創立者たちは学校を後任に譲って、市井の伝道に専念する決意を固める。1880年、タルカットは岡山伝道区に移り、以後、休暇帰米をはさんで、鳥取、京都など日本各地で宣教活動を続ける。岡山では石井十次の岡山孤児院設立に影響を与え、 京都では京都看病婦学校において宗教教育を受け持ち、濃尾大地震の際には被災地救援の ボランティア活動に従事、広島では病院訪問伝道を行ない、「日本のナイチンゲール」と 称された。

 晩年は元同僚のダッドレーが開校した神戸女子神学校を拠点に宣教に尽力した。人々の求めに応じて救援に向かう姿を他の宣教師たちは「Emergency Evangelist of the Mission」と呼んだという。

 もう一人の創立者ダッドレーは、女子伝道者養成の必要性を強く感じていた。

 「わたくし共が、わたくし共の手に余ることをしてくれる婦人たちを養成するクラスの必要を感じております旨、アッキンソン氏が御報告申し上げました。婦人たちのために働いてまいりました。わたくし共はこれまで、各人にこの活動に対する自分たち自身の責任を感じてもらおうと努力いたしましたし、婦人たちは立派にやってまいりました。けれどもこういうやり方では応じきれないほど大きな需要がございます」(1880年8月30日附ダッドレー書簡第77号)。

 そこで女子聖書学校(のちの神戸女子神学校)を1880年に創立し、宣教師を引退、帰米するまで後進の指導に努めた。2人が最後に拠点としていた神戸女子神学校は優秀な女子伝道者を世に送り、日本のキリスト教伝道に貢献した。

 一方、2人の去った女学校は発展を続け、日本における女子高等教育の実現をめざして神戸女学院(Kobe College)になっていく。

 2代目校長となったMiss Virginia A1zade C1arksonは神戸の女学校の方向性の舵を、宗教学校から教育機関へと切った。そして、3代目校長・院長Miss Emily Maria Brownと4代目院長Miss Susan Annette Searleは女学校を、女子高等教育機関へと育て上げ、5代目院長Miss Charlotte Burgis DeForestが完成させ た。

 今、神戸女学院には婦人宣教師はいないが、これら歴代婦人宣教師の志が今日に引き継がれている。(Kyodan Newsletterより)

 1975年、大学卒業後千葉YMCAに就職し、現在までYMCA一筋である。

 大学3年の終わりに、YMCAの活動に参加していた後輩が学内の掲示板に張った張り紙を見た同級生に誘われて、初めてYMCAの活動に参加した。翌年の夏にはYMCAへの就職を決断した。体育教師を目指し学んでいたはずが、YMCAでの活動により魅力を感じるようになり、電光石火の決断であったと振り返る。

 就職一年目に、当時の総主事に誘われて、初めて教会の門をくぐった。日曜日に仕事があることも多く、すぐに教会に定着とはいかなかったが、ある牧師とある女性との出会いによって本格的に教会生活が始まり、3年後に迷うことなく受洗した。YMCAで働く者が洗礼を受けることはごくごく当たり前、そんな思いだった。

 ひと夏に5~6回YMCA主催のキャンプに参加するということもあったほど、教会の活動よりもまだまだYMCAの活動の比重が大きいという時期もあったが、教会歴が長くなっていくにつれ、生活における教会の比重が大きくなっていく。教会育ちの伴侶を得、教会付属の幼稚園へ子どもを入園させ、教会学校教師や、教会役員等の奉仕を担うようになっていく。気づくと、キリスト者としてYMCAの活動を担っているという自覚が与えられていた。

 現在、東京YMCAの正職員のクリスチャンの割合は約半数と、他の地域のYMCAのそれよりは恵まれている数字かもしれないが、これでもまだまだ足らないと考えており、自分が先輩たちから言われていた、日曜日の教会での礼拝には積極的に出席すること、そのことを職員にはこれからもしっかりアピールしたいと考えている。

 そのためにも教会との具体的な連携が不可欠であり、そのことによって、教会も、YMCAも更に元気になるはず、そう信じている。

1952年埼玉県出身。滝野川教会員。東京YMCA総主事。

 2014年11月30日カトリック教会・日本聖公会・日本福音ルーテル教会合同礼拝に招待された。

 2000年の教会の歴史の中で、20世紀は「エキュメニカルの世紀」と呼ばれ、カトリックにおいては1964年に「エキュメニカルに関する教令」が出された。その教令には「相手を理解するより『断罪』しようとする姿勢が先行した過去の失敗を反省し、キリストの福音に忠実な教会形成に向かって踏み出す決意を示し、ローマ・カトリック教会として、その方針を詳述する」と記されている。このエキュメニズム教令50周年を記念して「カトリック教会・日本聖公会・日本福音ルーテル教会合同礼拝」が東京カテドラル関口教会・聖マリア大聖堂で献げられた。

 3つの教会は粘り強く対話を重ねて来た。合同礼拝に先立ってシンポジウムが開催されたが、パネラーから「違いを指摘しあったら対話は一日で終わる。しかし、どこが同じかということを確認しあって議論したから今日まで対話をなし続けることができた」と述べ、その結果が報告された。ニケア・コンスタンチノーブル信条を確認し、洗礼の相互承認がなされた。

 カトリックが中心の合同礼拝は感動した。なお大きな違いがあったとしても一つ思いになって礼拝を献げることができる。この礼拝から一致の道が開かれていく。礼拝の最後の所で「ニケア・コンスタンチノーブル信条」(カトリック口語版)を告白した時、感動し心が熱くなった。(教団総会議長 石橋秀雄)

18:1 ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。
18:2 サウルはその日、ダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。
18:3 ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び、
18:4 着ていた上着を脱いで与え、また自分の装束を剣、弓、帯に至るまで与えた。
18:5 ダビデは、サウルが派遣するたびに出陣して勝利を収めた。サウルは彼を戦士の長に任命した。このことは、すべての兵士にも、サウルの家臣にも喜ばれた。
18:6 皆が戻り、あのペリシテ人を討ったダビデも帰って来ると、イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、太鼓を打ち、喜びの声をあげ、三絃琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた。
18:7 女たちは楽を奏し、歌い交わした。「サウルは千を討ち/ダビデは万を討った。」
18:8 サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った。「ダビデには万、わたしには千。あとは、王位を与えるだけか。」
18:9 この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになった。
18:10 次の日、神からの悪霊が激しくサウルに降り、家の中で彼をものに取りつかれた状態に陥れた。ダビデは傍らでいつものように竪琴を奏でていた。サウルは、槍を手にしていたが、
18:11 ダビデを壁に突き刺そうとして、その槍を振りかざした。ダビデは二度とも、身をかわした。
18:12 主はダビデと共におられ、サウルを離れ去られたので、サウルはダビデを恐れ、
18:13 ダビデを遠ざけ、千人隊の長に任命した。ダビデは兵士の先頭に立って出陣し、また帰還した。
18:14 主は彼と共におられ、彼はどの戦いにおいても勝利を収めた。
18:15 サウルは、ダビデが勝利を収めるのを見て、彼を恐れた。
18:16 イスラエルもユダも、すべての人がダビデを愛した。彼が出陣するにも帰還するにも彼らの先頭に立ったからである。

2015年2月20日

17:26 ダビデは周りに立っている兵に言った。「あのペリシテ人を打ち倒し、イスラエルからこの屈辱を取り除く者は、何をしてもらえるのですか。生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は、一体何者ですか。」
17:27 兵士たちはダビデに先の言葉を繰り返し、「あの男を討ち取る者はこのようにしてもらえる」と言った。
17:28 長兄エリアブは、ダビデが兵と話しているのを聞き、ダビデに腹を立てて言った。「何をしにここへ来たのか。荒れ野にいるあの少しばかりの羊を、誰に任せてきたのか。お前の思い上がりと野心はわたしが知っている。お前がやって来たのは、戦いを見るためだろう。」
17:29 ダビデは言った。「わたしが、今、何をしたというのですか。話をしているだけではありませんか。」
17:30 ダビデは兄から他の人の方に向き直って、前と同じことを聞いた。兵士の答えは、最初と同じであった。
17:31 ダビデの言ったことを聞いて、サウルに告げる者があったので、サウルはダビデを召し寄せた。
17:32 ダビデはサウルに言った。「あの男のことで、だれも気を落としてはなりません。僕が行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」
17:33 サウルはダビデに答えた。「お前が出てあのペリシテ人と戦うことなどできはしまい。お前は少年だし、向こうは少年のときから戦士だ。」
17:34 しかし、ダビデは言った。「僕は、父の羊を飼う者です。獅子や熊が出て来て群れの中から羊を奪い取ることがあります。
17:35 そのときには、追いかけて打ちかかり、その口から羊を取り戻します。向かって来れば、たてがみをつかみ、打ち殺してしまいます。
17:36 わたしは獅子も熊も倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人もそれらの獣の一匹のようにしてみせましょう。彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから。」
17:37 ダビデは更に言った。「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるにちがいありません。」サウルはダビデに言った。「行くがよい。主がお前と共におられるように。」
17:38 サウルは、ダビデに自分の装束を着せた。彼の頭に青銅の兜をのせ、身には鎧を着けさせた。
17:39 ダビデは、その装束の上にサウルの剣を帯びて歩いてみた。だが、彼はこれらのものに慣れていなかった。ダビデはサウルに言った。「こんなものを着たのでは、歩くこともできません。慣れていませんから。」ダビデはそれらを脱ぎ去り、
17:40 自分の杖を手に取ると、川岸から滑らかな石を五つ選び、身に着けていた羊飼いの投石袋に入れ、石投げ紐を手にして、あのペリシテ人に向かって行った。
17:41 ペリシテ人は、盾持ちを先に立て、ダビデに近づいて来た。
17:42 彼は見渡し、ダビデを認め、ダビデが血色の良い、姿の美しい少年だったので、侮った。
17:43 このペリシテ人はダビデに言った。「わたしは犬か。杖を持って向かって来るのか。」そして、自分の神々によってダビデを呪い、
17:44 更にダビデにこう言った。「さあ、来い。お前の肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」
17:45 だが、ダビデもこのペリシテ人に言った。「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。
17:46 今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。わたしは、お前を討ち、お前の首をはね、今日、ペリシテ軍のしかばねを空の鳥と地の獣に与えよう。全地はイスラエルに神がいますことを認めるだろう。
17:47 主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される。」
17:48 ペリシテ人は身構え、ダビデに近づいて来た。ダビデも急ぎ、ペリシテ人に立ち向かうため戦いの場に走った。
17:49 ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。
17:50 ダビデは石投げ紐と石一つでこのペリシテ人に勝ち、彼を撃ち殺した。ダビデの手には剣もなかった。

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