2016年 平和聖日 日本基督教団 総会議長 石橋秀雄 在日大韓基督教会総会長 金 性済
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
(マタイによる福音書25章40節)
ヘイトスピーチのない平和と共生の社会を
日本社会ではこれまでも、朝鮮学校に通う女子生徒の制服が切り裂かれるなど、在日コリアンをはじめとするマイノリティに対する差別と暴力が繰り返されてきました。今日では、差別・排外主義的な主張を標榜する団体により人種的憎悪や民族差別を煽動するヘイトスピーチが公然と繰り広げられ、言葉によって恐怖と苦痛を与え続けています。このようなヘイトスピーチを規制する法律が今年5月に成立しましたが、禁止はせず罰則もなく、規制対象は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」に限定され、アイヌや沖縄・被差別部落などのマイノリティへの差別的言動は規制対象となっていないなど、課題も少なくありません。このようなヘイトの現象が2009年以来、執拗に持続することは、現代日本の政治が個人の基本的人権を保障し戦争放棄を誓う憲法を揺るがそうとする極右的な勢力に突き動かされていることと無関係ではありません。在日大韓基督教会は、2015年11月に日本基督教団をはじめとする国内と世界の諸教会と共に第3回「マイノリティ問題と宣教」国際会議を開催し、日本における人種差別の撤廃に向けて、日本と世界のキリスト者が祈りと力を合わせていくことを確認し、マイノリティセンターの設立(2017年4月予定)を決めました。わたしたち日本基督教団と在日大韓基督教会は、ヘイトの中に潜む敵意に対して、歓待と和解の福音信仰に堅く立ち、共生の平和を目指すために世に遣わされ働くことを、現代を生きるキリスト者に託された福音宣教の使命として、ヘイトスピーチの課題に取り組み、この地上に平和と共生の社会の実現を求めていくことを決意します。
原子力発電所のない平和で安全な社会を
東日本大震災から5年が過ぎた今もなお、東京電力福島第一原子力発電所の事故が引き起こした深刻な問題はいまだ解決されておらず、震災関連死者数も増加しています。そして、いまだ10万人に近い人たちが困難な避難生活を余儀なくされています。それだけでなく、弱者切り捨てともいわれる避難生活が続く中で、地域の間や避難者と受け入れ者の間に、そして避難生活者同士の間にも葛藤や分断が生じ、人間の尊厳が大きく傷つけられています。
そのような分断状況があるにもかかわらず、まるで原発事故と避難者の存在など無視するかのように、九州電力は川内原子力発電所1号機と2号機を再稼働しました。熊本大地震の際、原発事故を恐れた多くの市民が稼働の一時停止を求めましたが、その声は聞き入れられず、何もなかったかのように稼働が続けられています。また、原子力規制委員会は、40年が経過した関西電力高浜原発1、2号機について、最長20年にわたる運転期間の延長を許可しました。わたしたち日本基督教団と在日大韓基督教会は、再稼働に反対する国民の声を無視して原子力発電所の再稼働を進めていることに強く抗議します。それと共に、日本政府に対して、原子力発電所の稼働を停止し、すみやかに廃炉に向けての処置を取ることを求めます。そして、原子力に依存しないエネルギー政策への転換の取り組みを求める働きかけを継続してまいります。
基地のない平和で非暴力な社会を
わたしたち日本基督教団と在日大韓基督教会は、昨年9月に参院本会議で可決された安全保障関連法は憲法違反であり、同法を廃止して立憲主義に立ち戻ることを日本政府に対して強く求めてまいりました。
それに対し、安倍政権は、熊本地震に便乗してオスプレイを物資運搬に使い、緊急事態条項追加の必要性を主張しています。また、安倍政権の支持母体である日本会議や神社本庁は、「憲法改正に賛同する署名」を初詣客などに広くよびかけ、サミットを伊勢志摩で開催して各国首脳を伊勢神宮に「訪問」させるなど、国家神道の復活と憲法の改悪をもくろんでいます。
このような状況の中で、いま沖縄は苦悶しています。6月19日には、元米海兵隊員に殺害された女性を追悼する県民大会が開かれ、6万5000人の参加者は、基地のない沖縄を望み、「県民の怒りと悲しみは限界を超えた」と悲痛な叫び声をあげました。教会は、この叫びの中にイエス・キリストが呼びかける声を聞かなければなりません。
わたしたち日本基督教団と在日大韓基督教会は、政治の責任を担っておられる方たちが、憲法を守り、この世界における真実の平和の実現にこそ寄与する政治を行うことを強く求めます。また、沖縄の怒りと悲しみの声を聞きつつ、安全保障関連法が廃止されるために、今後も祈り続け、声を上げてまいります。そして、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し(憲法第9条)、武力の行使によらない平和の実現のために力を尽くします。
世界の全ての人々の上に、平和の主イエス・キリストの恵みと導きを祈ります。
第4回年金局理事会が6月16日~17日、教団会議室で開催され、理事、監事、東京教区支区代表、支える運動推進委員長ら総勢27名が出席した。
「2015年度年金局事業報告ならびに決算書」および「2017年度財務計画」が審議され、承認された。約750名の隠退教師と遺族に遅滞なく年金が給付され、その総額は4億5700万円であった。給付額が掛金額より1億2600万円多く、これを謝恩日献金、隠退教師を支える運動・100円献金、資産運用益等で補っている。収支差額は3000万円のプラスで、これを積立金に繰り入れて、2015年度末の積立金は41億4400万円となった。謝恩日献金1億1千万円を目標額に掲げて9年経ているが、教団年金、謝恩日献金が全ての教会・伝道所、信徒に理解、認識されるように努めることを確認した。
4年半を費やして今年3月末に上梓された冊子『教団年金のあゆみ』が出席者に配布された。理事会では青地恵前業務室長の陪席を得て、教団年金の歴史について3時間かけて学んだ。日本基督教団創設時からの記録を詳細に調べ上げ、また関連する社会の動き、公的年金の動き等も盛り込んだ『教団年金のあゆみ』となっている。謝恩日献金、隠退教師を支える運動・100円献金を理解するための資料となると思われる。
変動の激しい世界情勢の中にあって、教団年金を守るために様々な意見が交わされた。出席者一同は教団年金の健全な進展を祈り、理事会を終えた。(籔田安晴・櫻井淳子報)
第5回在日韓国朝鮮人連帯特設委員会が、6月24日、教団小会議室で開催された。今回は、前回の委員会以後の関連集会への参加や派遣の報告が主なものであった。
1月28~29日に開催された外キ協全国協議会は、30回という大きな節目を迎え、初心を確認してこれからも忍耐強く活動を継続していく一致が確認された集会であった。2月1日に開催された東京教区平和祈祷会について、教区議長の奨励、カトリックの平和メッセージ紹介があったことが報告された。更に、小橋孝一委員長が出席した「教団宣教方策会議」「在日韓国YMCA110年記念会」「NCC宣教会議準備会」「在日大韓基督教会との宣教協力委員会」「全国社会委員長会議」の報告があった。
今後の活動として、8月19~20日に神戸で開催されるキリスト教学校人権教育セミナー(主題「いのちと向きあう」)に宮本義弘委員を派遣、9月16日に高麗博物館と図書館アリランを見学することを決め、委員会を閉じた。(宮本義弘報)
石原信良氏(隠退教師)
16年7月5日逝去、84歳。東京都生まれ。58年東京神学大学大学院卒業。同年より東京信愛、都城城南、佐賀、大島教会を経て98年隠退。
遺族は娘・隅田明子さん。
頌栄保育学院は、1889年10月に頌栄保姆伝習所を、11月に頌栄幼稚園を開設し、以来伝習所が頌栄保育専攻学校、頌栄短期大学と名称を変更し、頌栄幼稚園と共に今日に至っている。現存する保育者養成機関としては日本最古である。
頌栄創立者A.L.ハウは、1852年1月12日、マサチューセッツ州ブルックラインにて出生した。父・チャールスは典型的なフロンティアで、やがてイリノイ州クリフトンの広大な土地を開拓し農園を経営した。母・メリーは強固な信仰と豊かな芸術的天分をもち、演奏家としても力を発揮していた。夫妻は、ベタニア・ユニオン教会に属し、父は日曜学校長、母はオルガニストを務め、日曜日午後には自宅を開放して礼拝を守り、パーティを開いて開拓者コミュニティの中心的家庭であった。
ハウは、イリノイ州クリフトンの公立学校およびニューハンプシャーの私立学校において初・中等教育を終えた後、1867年ロックフォード女子セミナリー(ロックフォード・カレッジの前身)に入学、音楽を専攻した。ちなみに神戸女子神学校(現・神戸女学院)創立者J.ダッドレーもこの出身者である。同校を卒業後、ハウはディアボーン女子セミナリーにおいてさらに音楽の研鑽を積んでいる。
その後ハウ一家はシカゴ郊外ロングウッドに転居したが、妹メアリーの幼稚園課程専攻に心動かされたハウは、アリス・H・パットナムがシカゴに1874年に創立したシカゴ・フレーベル協会保母養成所に入学、保母資格を取得した。1878年には、中部婦人伝道会幹事ブラッチフォード夫人の後援により貧困家庭子女のために設けられた幼稚園に妹メアリーと共に勤務した。
1874年、神戸に誕生した摂津第一公会(現・日本キリスト教団神戸教会)を中心とする神戸婦人会が幼稚園の設立を強く祈り求め、アメリカン・ボードに幼児教育の指導者の派遣を要請した。J.デイヴィスが愛妻の死去に伴い一時帰国し、1886年10月27、28日シカゴ郊外オーク・パーク教会にて行われた中部婦人伝道会年会において講演、日本の神戸における幼稚園のための教師を必要としているとアピールし、これに感激しこれを自分の使命と確信して1887年に来日したのがハウであり、2年後に頌栄が創立された。この創立経緯も頌栄独自のものである。
来日間もないハウは、神戸YMCAとアメリカン・ボードが共同で開校した英語学校で英語を教えつつ、自ら日本語を学び、さらにピアノ教師、バイブルクラスやオルガニストの要請に応えつつ、幼稚園設立に向け準備を行い、当時神戸にあった3つの幼稚園を見学するなどしつつ、保母へのフレーベル遊具の指導なども行った。ハウを招致した神戸婦人会と共に、園舎・校舎の建築、伝習所の授業計画、幼児唱歌の翻訳等、準備を整え頌栄が創立された。ハウ来日の目的は幼児教育であったが、幼児教育の前に保育者養成が急務であり、まず頌栄保母伝習所が設立され、2週間遅れて頌栄幼稚園が開設された。当時の日本社会は未だ幼児教育に対しての理解や関心は極めて薄かったが、ハウの忍耐と努力により幼稚園も定員を満たして順調に歩みを続けた。
ハウは、未だ幼児教育に関する教科書のない時代に、教科書の作成にも貢献している。「幼稚園唱歌集」(ハウ選、1892年)、「保育学初歩」(ハウ著、1893年)、「クリスマス唱歌」(ハウ選、1894年)、「七少姉妹・一名地理入門」(アンドリュー著、坂田幸三郎訳、1895年)、「幼稚園唱歌続編」(ハウ選、1896年)、「母の遊戯および育児歌上・下」(フレーベル著、ハウ訳、1897年)、「人の教育」(フレーベル著・ハウ訳、1898年)と、毎年教科書出版にも努力し、特に「保育学初歩」は講義ノートを書物として纏め、フレーベルの恩物の理論と指導法がわかりやすく述べられている。また「母の遊戯および育児歌上・下」には、フレーベルの原著にある母と子の絵を和風の着物に書き換えるなどの工夫もなされている。いずれにしても幼児教育の開花期に、保育室での実践と様々な講義と実技指導、さらに教科書の出版など日本の幼児教育の先駆者としての役割を十分に担ったのがハウである。
ハウは、1927年10月17日に頌栄を辞して帰国、1943年10月25日ニューヨーク州ローチェスターにて91歳で召天した。なお、1940年ハウは日本での教育功労が認められ、天皇より藍綬褒章が授与されている。日米開戦の前年にもかかわらず贈られたこの受賞は、ハウの働きがいかに大きかったかを物語っている。
(Kyodan Newsletterより)
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