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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【5044号】イースター メッセージ 死に勝利された復活の主(1面)

2026年3月28日

イースター メッセージ

死に勝利された復活の主 
コリントの信徒への手紙一15章12〜20節

瀧山 勝子(福島新町教会牧師)

キリストは復活しなかったのか

 コリントの信徒への手紙一15章において、パウロはイエス・キリストの復活と私たちの復活について力を込めて説き明かしています。特に12〜20節では、パウロはコリント教会内にある問題に触れています。それは「死人の復活などはない」と主張する者がいたということです。しかしキリストの福音とはキリストが私たち人類の罪の贖いのため十字架で肉を裂き、血を流して死んでくださったこと、そして三日後に復活されたことです。それがキリスト教会の根本的メッセージでありました。

 十字架におかかりになるイエスを見捨てて逃げた頼りない十二弟子たちも復活のお姿に出会い、ペンテコステ後は聖霊に満たされて「主イエスは真によみがえられた」と、驚くほどに復活の主イエスを伝えました。それによって教会は建てられたのです。

 熱心なユダヤ教徒であったパウロは教会迫害の急先鋒でした。キリスト者をエルサレムに連行するために旅をしてダマスコに近づいたとき、突然天からの光が彼の周りを照らし「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞きました。彼はこのとき復活の主との出会いを体験したのです。こうしてパウロは、世界宣教へとのり出して行きました。

 「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」(コリント一15・9〜10)。

 ところが困ったことに、パウロが心を注いで建て上げたコリント教会の中に「死人の復活などはない」と主張する人が出てきたのです。時に、「復活なんて言わなければ、もっとキリスト教は信じやすいのに」という人は今でもいます。

復活がなかったら宣教は無駄

 キリスト教の根本的メッセージは「主イエスは復活された」ということです。それを取ってしまうと何も残らないということをパウロは語ります。「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(14)と言い切っています。「無駄」と二度くり返されているのを見てもその重大性が分かります。キリストの復活が最重要であるのです。

 もし、イエス・キリストが十字架で死んだままだとしたら、やはり罪に対する個人的報いとして死んだことになり、罪に負けたということになります。

 主イエスは人類の罪の身代わりの死を遂げると共に、罪と死に勝たなくては本当の人類の救い主になることはできません。イエス・キリストの復活は罪と死と悪の力に対する勝利なのです。

主は死に勝利された

 19節に「この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です」とあります。

 私たちは、イエス・キリストにどのような希望を抱いているでしょうか。単にこの世で、ただその時その時助けていただくだけというならば惨めな者だとパウロは言うのです。

 主イエスは罪と死とに対する勝利者であり、私たちの復活の希望であります。使徒信条で「身体のよみがえりを信ず」と告白するように、私たちはこの世でも死んだ後でもイエス・キリストに結ばれて生き続けることになるのです。

 私たちにとって何よりも手ごわい敵は死ではないでしょうか。私たちは愛する者の死を次々と体験していきます。そして自らも病を通して、また年齢を重ねて行く中で「昨日はできていたことが、今日はできなくなる」という経験をします。老いています。確実に死に近づいていきます。

 「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように」(ヘブライ9・27)と聖書にありますが、主イエスが私たちの罪の裁きを十字架で身代わりに受け、そして復活して下さったことが救いであります。死に勝利された主イエスを信じるからこそ私たちも復活の約束を信じ、やがてこの地上の死をも恐れることなく歩んでいけます。

 「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか…わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう」(コリント一15・54〜57)。

 パウロは後に困難な伝道の中で「わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」(コリント二1・9)。

 ここにパウロの復活信仰を見ます。「死の宣告を受けた思いでした」と言わざるを得ない困難の中で、パウロは「死者を復活させてくださる神」を頼りにするようになったのです。信仰の友にとって大きな励ましになるのはこの御言葉であります。死を前にして戦っている信仰の友に、そして私たちにも大きな慰めになります。

 私たちにとって何よりも手ごわい敵である死に勝利された復活の主を高らかに宣べ伝えましょう

震災を超えての希望

 15年前の東日本大震災。私たちの福島県も最大震度6強の揺れと、原発事故による放射線のために大きな被害を受けました。線量計が手放せない時期もあり、当初はパニックになりました。当時築83年のヴォーリズ設計の福島新町教会の会堂もあわや解体の危機に見舞われました。しかし建築構造などを調べていただき、死んだような礼拝堂も一年半後にほとんど元のまま立派によみがえりました。多くのお祈りとお支えがあり感謝でした。今でも修復されたヴォーリズの会堂を全国から見学に来る方がおられます。この震災によって私の次女は、たくさんの方々の死を前に「自分が死ぬ前にやりたいことは何か」と神に問われ献身に導かれました。

 死と正面から向き合うとき、死に勝利されたよみがえりの主を宣べ伝えずにはおれません。「この人」による以外に救いはありません。

 「死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」。御言葉が心に染みます。

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