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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【5040号】台湾ユースミッション2025(2面)

2025年12月13日

「声なき声」を聴き取って

台湾ユースミッション2025
▶ 8月19〜26日 ◀︎  

 台湾ユースミッションは、日本基督教団と台湾基督長老教会の間で2年に1回行われる青年交流です。
 コロナでのオンライン交流を経て日本での開催は9年ぶりとなりました。今年が敗戦後80年であることから、開催地に広島と長崎を選び、8月19〜26日に実施しました。台湾青年7名と日本側青年7名が参加しました。今回日本側メンバーの中に中国籍の神学生とトーゴ(アフリカ)出身のアジア学院研修生の宣教師がおり、四か国の青年交流となりました。
 初日は日本側青年が一足先に広島流川教会に集合して、台湾青年をお迎えしました。向井希夫牧師による開会礼拝のあと、レセプションと会食の時間では、西中国教区の先生方も加わって温かく楽しい時間を過ごしました。
 二日目以降は平和の学びとして、広島平和記念資料館を見学し、被爆証言を伺いました。証言者の豊永恵三郎さんからは、被爆したのは日本人ばかりでなく朝鮮半島出身の被爆者が少なくないことも伝えていただきました。広島市は陸軍の軍都で、当時の日本の加害の面も知りました。呉市を訪問し、戦艦大和を建造した場所を見学、今は自衛隊と米軍の基地があり、艦船が停泊している現実を見ました。軍事力で平和を造ることはできないと信じ、有事(戦争)が起こらないように祈ります。レクリエーションとして、広島の最終日には世界遺産である宮島で憩いの時を過ごし、広島カープのナイターも観戦しました。
 長崎市では、日本二十六聖人記念館と長崎人権平和資料館(日本軍の加害資料を展示)、被爆校舎を一部残す城山小学校を見学しました。長崎平和記念教会で聖日礼拝を守り、そのあとの平和集会の中では、教会員の皆様と共に城臺美彌子さんから被爆証言を伺い、核兵器廃絶活動を学び、長崎原爆資料館を見学しました。
 最後の夜、共に夕食を作るなど参加者の交流も行いました。今回のユースミッションでは、開会礼拝、被爆証言などの通訳を参加青年が担いました。今回のテーマは「声」でした。私の願いは、参加者が見学内容を今後の人生に生かし、被爆死された方々の「声なき声」を聴き取って核兵器廃絶に努力し、キリスト者としてアジアの平和、世界の平和を造る人々になることです。「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5章9節)。
 受け入れをして下さった西中国教区、広島流川教会、呉平安教会、長崎平和記念教会、長崎教会など、ご協力下さったすべての方々に、深く感謝申し上げます。

(石田真一郎報)



【参加者の声】(報告書の抜粋)

 

森湖都葉 《月寒教会》
 私は今回、広島と長崎で初めて被爆証言を聞きました。どう次の世代に引き継いでいくのか、戦争を体験した人が年々減っていく中で解決しなければならない課題があることを知りました。また、野球観戦や宮島観光、長崎での自由時間を通して交流を深めることができました。自由時間は私と台湾人5人で長崎の観光スポット、眼鏡橋に行きました。最終日前日の夜、台湾料理として三杯雞、日本料理として肉じゃがを作りました。台湾の男性陣は皆料理ができて大変助けていただきました。かっこよかったです。
 私は今、台湾で留学生活を送っていますが、キリスト教のサークルや教会、高雄大專中心などでさまざまな人とつながり、たくさんの人に支えられて、聖書を読み、讃美歌を歌うとても充実した毎日を過ごしています。ユースミッションで出会った台湾青年の誕生日パーティーに参加したり、宜蘭旅行に出かけたり、教会に連れて行ってもらったり、一緒に夜ご飯を食べたりと交流を続けてさせていただいていることも大変うれしく思います。
 かけがえのない仲間に出会わせてくださった、このユースミッションに関わったすべての人、そして神様に感謝いたします。

許 天意 《富士見町教会》
 広島と長崎という二つの都市の美しさと歴史に触れると同時に、各地の資料館を訪れ、被爆者の証言に耳を傾けることで十字架の重みを体感しました。「声」と「平和」を主題として、行程のはじめから終わりまで、明暗さまざまなかたちで一本の軸が通っていました。私たちは記念館を通し、被爆遺構を訪ね、そして何よりも被害者の証言に直接耳を傾けることで、原爆の痛ましい記憶に触れました。原爆の記憶は、常に信仰と密接に結びついています。
 広島流川教会、呉市のYWCA、長崎の浦上天主堂…これらの教会を訪れるとき、私は思いを巡らせました。原爆に直面したとき、彼らはどのような状況にあったのだろうか、と。広島・流川教会の廊下には、原爆後の瓦礫の写真が掲示され、信徒たちが瓦礫の上で礼拝をささげている姿が写っていました。原爆は信仰を打ち砕きはしませんでした。むしろ災厄のさなかにあって、信仰はいっそう堅くされたのです。
 キリスト者である私たちは、原爆で亡くなった方々のために祈ります。神がその大いなる御力によって彼らの霊を救い、また生存者と今を生きる世代の平和のために、恵みに恵みを重ねて地上の平和をお与えくださるように祈ります。
 長崎での最後の夜、台湾と日本の仲間たちとともに、それぞれの国を代表する料理をつくりました。さらにTシャツに絵の具で、仲間に伝えたい図柄−ハート、十字架、かわいらしい顔のスケッチ−を描きました。私のシャツには「焚而不燬」という四字を書きました。これは、焼失後に再建された教会の外壁に、燃えるいばらを描いた偕叡理牧師が記した「棘焚而不毀」に由来します。これは台湾基督長老教会の精神を表すと同時に、私たちが訪れた広島と長崎、二つの都市に共通する精神でもあると私は思います。

榎本光太 《甲西伝道所》
 広島で特に印象に残っているのは、被爆者の方のお話の中で示された広島市の地図です。爆心地を中心に、円を描くように広がる被害の範囲が示されていました。しかし私の目に留まったのは、その外側にある被害の小さかった、被害のなかった地域です。当たり前のことですが、そこには境界があったのです。今の私もまた、その境界の外の外にいる存在です。彼らの痛みも苦しみも真に実感することはできません。しかし、そこに私の位置があるのです。
 黒焦げになりながら水を求めた者の位置。火傷を負いながらも人々を助けようとした者の位置。当時の情景を今に語り継ぐ者の位置。それぞれが自分の位置でできることを果たしています。そして私もまた私の位置で平和を考えることが求められているのだと感じました。
 長崎では、原爆が天候の影響により元々の標的から長崎へと変わったことに心が留まりました。あの日、雲の流れが、二つの街の運命を変えたのです。私たちが何気なく見ている雲が、彼らの生死を分けたその現実を前に、人間の思惑の儚さ、そして同時に、自然という神の被造物が、人間の限界を超えて働く無慈悲さと神秘さを感じます。それは、神を呪う理由ではなく、むしろ神を畏れるに十分な証拠です。今、その長崎の街は世界に向けて平和を祈る最前線としての役割を担っているのです。
 台湾ユースミッションでの経験は、日本のクリスチャンとしての歩みを考えさせられるきっかけとなりました。これからも台湾の信仰の友との交わりを深めていけることを願っています。

下園晴歌 《経堂緑岡教会》
 私が今回の台湾ユースミッションに参加させていただいたのは、今までに台湾で出会った仲間を大切に生きていきたい、今後も台湾と関わり続ける人でありたいという強い想いがあったからです。今年は日本の敗戦から80年の年であり、平和のあり方について、仲間と共に学び、考え、祈る時間を持ちたいと願ってきました。そんな私にとって、今回のプログラムの開催地である広島、そして長崎に、今回の参加者の皆さんと行けたことには大きな意味がありました。神さまが、私たち一人ひとりを呼び集めて下さったことに、心から感謝しています。
 今回の台湾ユースミッションのテーマは「声」でした。広島と長崎では、多くの人と出会い、言葉を交わし、時間をともにしました。このプログラムを通して、さまざまな「声」に出会う時間があったように思います。私にとって「声」という言葉には、何かを震わせ、他のものと共鳴するようなイメージがあります。私自身も心を震わせながら、参加者一人ひとり、出会った一人ひとりの方と響き合っていたように思います。そして、その一人ひとりの「声」を結び合わせていたのが、神さまの存在だったと感じています。神さまが私たちを呼び集め、交わる時間を与えてくださったことに、心から感謝しています。今回のプログラムで出会った「声」、そして心が震えた経験を、これからの歩みの中で平和の実現へとつなげていきたいと思います。

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