インスタグラムアイコンツイッターアイコンyoutubeアイコンメールアイコン
日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【2025年8月】今月のメッセージ「長イスで平和を」

2025年8月1日

長イスで平和を

見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
詩編 133編1節

名取教会  
荒井偉作 牧師

 

 今月は名取教会の長いすを通して「神様の示す平和」について皆さんと分かち合いたく思います。
 名取市は宮城県のやや中央、仙台市の南にあり、仙台空港もある町です。のどかな農村・漁村だった町に42年前に「名取伝道所」として建てられ、16年前に第2種教会となりました。
 そして直後の20113月、東日本大震災が起こりました。下から突き上げられ、横から津波が押し寄せ、そして上から放射能を浴びました。3重苦の出来事でした。名取教会は沿岸から6キロほどで、津波は直撃しませんでしたが、教会員と、時折教会にお見えになる近隣の方々の合計4名もの尊い命が津波の犠牲となりました。また、ご自宅を津波や揺れで失ったケースが4件。普段の礼拝が20名弱の群れにとっては、大きな痛手でした。
 この会堂は床にヒビが入り壁が割れ、天井に穴があきました。余震が長く続き、復旧工事に取り掛かったのは12年の秋でした。1年半、私たちは傷ついた会堂で礼拝を守りました。しかしそれは、何も被害なく過ごすより良かったと思います。主イエスの、裏切られ嘲りを受け鞭うたれた、傷だらけの姿と重なるからです。私たちのために十字架の道を選び取った主イエスは、復活してもなおその御身体に十字架上の傷を残していた、と聖書は語ります。その意味を、ある方向から深く感じ取ることになりました。
 今も会堂には震災の記憶が残っています。その一つは、普段は後ろの壁に掛かっている切り絵作品です。市内で最も甚大な被害を受けた閖上(ゆりあげ)地区出身の切り絵作家さんが何度か礼拝に参加くださり、礼拝堂を全面使っての作品展に協力くださいました。震災前の風景と震災後の風景とを作り続け、その一つを教会に寄贈くださいました。毎週の礼拝が終わると、私たちはこの閖上の風景を眺めながら礼拝堂を出ていきます。
 そしてここにピアノがあります。草刈ひろみさんという教会員で音楽の教師をなさっていた方が98年に、愛用のピアノを教会に寄贈くださいました。そしてそのご本人とご両親があの日に津波の犠牲となりました。ピアノが形見として教会に遺されました。最近は1か月に1度くらい礼拝でも使うようになりました。それ以前にも震災記念コンサートなどでも用いてきました。音はこの通りいたって普通です。それでもこのピアノは慰めの音色を紡いできました。私たちは「形見」でなく「命のピアノ」と呼ぶようにしています。
 礼拝堂には20本の長イスがあります。180センチほどで3人が座れます。このイスには歴史があります。第二次大戦後、日本に駐留した米軍が基地の中にチャペルを建てました。そこに集まる米兵たちは、直前まで日本人を敵対視し、ミサイルや銃弾で攻撃していた若者たちです。彼らがこのイスに座り、聖書の御言葉に耳を傾け、祈り、賛美を捧げました。やがて米軍が引き揚げた後、キリスト教大学が同じ敷地にキャンパスを作り、そのチャペルを大学の礼拝堂として再活用しました。今度は日本の若者たちが同じようにこの長イスに座り、聖書に聴き賛美し祈りました。そしてそれらが開設されたばかりの名取伝道所に引き取られて来ました。ここで三代目となりますが、礼拝以外にも用いられることになりました。
 震災後に多くの方が教会を訪問、また宿泊をしてきました。数百人規模になるかと思います。この長イスを2つ合わせると、簡易ベッドになります。多くのボランティアさん、訪問者がこの長イスで宿泊し、また日曜日には並べ替えて礼拝を捧げました。日本だけでなく世界中から集まりました。20か国は超えています。文化、言語、肌の色が異なる人々が次々と訪れ、この長イスを利用しています。
 これはまさに詩編133編の世界です。旧約時代、「仮庵の祭り」の時期に各地から人々が都エルサレムに集まり、仮の小屋にすし詰め状態で過ごしました。風習や背景、職業も異なる人々が寝泊まりし、方言も飛び交ったようです。そんなギュウ詰め状態では不平と諍いが生まれそうですが、彼らは神のもとに互いを「きょうだい」と呼び、平和と恵みの時を共有しました。
 被災地には、対立や紛争の歴史を抱えた国から訪れるケースもあります。しかしどの人々も、「愛」の人でした。そのような組み合わせの国々から同時に訪れるわけではありませんが、すべての人々が被災地のために愛を込めて働き、祈りを捧げます。傷ついた人々を前にすると、憎しみや諍いの思いが薄れ、愛が優先されるのです。世界のいがみ合う心さえ繋ぐ働きを見ました。もちろんそんなことを教会として計画したわけではありません。すべて神様が繋いでくださったことです。神様は実に不思議な事をなさいます。傷ついた、弱く小さな器をも用いてくださいます。
 皆さんにとって、共に座りたい「兄弟・姉妹」とはどのような人でしょう?そしてどのような時に恵みや喜びを実感するでしょうか。逆に言えば、どのような人との間に溝や壁を感じ、「共に座りたくない」と思うか。この御言葉からそのようにも問われているように思うのです。
 今や世界は「ギュウ詰め」状態、自分と全く異なる人と隣人になる時代です。この日本でもそのことを実感します。どのようにすれば、私たちは諍いや偏見でなく、愛と平和の共存の道を知ることができるのでしょう。そしてどのようにその道を保つことができるでしょうか。

祈り:終戦から80年を数えます。沖縄の人々が捨て駒にされ、広島と長崎の一般市民が核兵器の犠牲となりました。今も地上は私たちが平和を破壊する現実があります。私たちの愚かさが生み出す罪の現実です。弱く愚かな私たちを憐み、あなたの示す平和の道具としてください。

今月のメッセージ
PageTOP
日本基督教団 
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan