伝道推進室より応援した教会・伝道所
いのち・平和・共に生きる生活
石垣農村伝道所牧師
川﨑 正志
石垣農村伝道所物語のはじめです。時は1998年7月30日。その日、牧師家族が信濃の国、上田の地から海路八重山の地、石垣島に上陸しました。当時はまだカーフェリーが航行していて、のどかな船旅になりました。高校3年在学中の長女をひとり小諸に残しての家族7人の船出でした。彼女は1年半後に進学して、那覇にある教会の寮のお世話になりました。
ところで、石垣島へと舵を切るに至った契機は、「1995年沖縄米兵少女暴行事件」です。その衝撃が私の背を押して、待ったなしの決断となりました。私を石垣に招いてくれた友人の「沖縄は決して癒しの島なんかじゃない。癒しを必要としている島なんだ。川﨑君、農村伝道してくれ!」との言葉、そして彼の父君の「川﨑さん、沖縄(島)ではなくて石垣にしなさい」と声をかけてくださったこと。このお二人の言葉は、私にとって余りある力となりました。沖縄は私を必要としている。重く厚かった扉が開かれました。沖縄島在住の今は亡き友人は「川﨑君、君の神さまは生きている!」と言いました。彼は「君が沖縄に来ても、迷惑をかけるだけだからこの計画には賛成できない」と忠告してくれた人の一人です。
自給伝道の道が開かれて21年の月日が経っていました。2019年10月29日、石垣農村伝道所は教団総会議長の同意を得て誕生しました。難産の子は、可愛いといいます。この日に至る歩みの中で、崎枝農場(1ヘクタール)の開設(2010年)、名蔵祈りの家の開所(2012年)の道が開かれました。
石垣農村伝道所は「家の教会」です。教会形成の土台を「主の食卓を囲んでささげる礼拝」と「聖書を読む会」に定めました。「聖書を読む会」は、「聖書研究祈祷会」でも「聖書を学ぶ会」でもありません。これはもちろん大切ですが、キリスト信仰の究極は、聖書を「共に」読むことにあると考えるからです。
2021年9月、多くの方々の祈りとご支援によって礼拝堂が完成しました。木造1階建て、切妻屋根の上には十字架を立てませんでした。内部正面に3枚の縦長窓があるだけです。礼拝堂建築は、私たちの思いを遥かに越えた神のなせる奇跡の業でした。礼拝堂完成に至る石垣農村伝道所の航海は、順風満帆ではありませんでした。これからも荒波に揉まれる航海が続くことでしょう。
ここで、この物語の中間報告をいたします。新年度伝道所総会で承認されたことの確認です。⑴「こころの友」配布伝道を月1回石垣島北部地区で実施する。「西表島伝道圏伝道」は当分の間延期する。⑵「こども農村自然塾in石垣島」の活動、①テーマは「いのち・平和・共に生きる生活」。初めと食事の時と終わりの祈りを大切にする。②目的は、自然を観察し、「いのち」を育て、失敗を恐れずチャレンジする精神を養うこと。③活動方針は、日常生活の取り組みであり、「こどもの教会」と連携して活動すること。大人は手出し口出しを慎むこと。④課題は自分がやりたいことを主体的に見つけて取り組むこと。挨拶と「靴をそろえて入る自由」(羽仁もと子)を大切にすることです。ご支援感謝。栄光在主。御心が地でも行われますように。