忘れないよう「覚える」
「元気だった?本当によかった。あの時から、こんなにうれしいのは初めてよ」。
5月12日、輪島教会の駐車場にユニットハウスの仮礼拝堂が整えられました。その場において数名ではありましたが集まることのできた教会員が、互いに抱き合い目に涙し、右記の言葉を交わしておられたのが胸に残ります。小さなユニットハウスではありますが輪島の地に礼拝の場が整えられたこと、新藤豪牧師に安全な寝所が与えられたことに感謝したいと思います。
しかしです。能登の地はうめいています。今まで派遣されてきた災害と何かが違う。未だに解体の重機の音一つせず、殆どの場所が手つかずなのです。「ここは冷凍保存されているみたい」、「忘れられてるんだな、と感じる」との言葉は、能登の教会の方々から実際に聞いた言葉です。どの災害も同じではなく個性がある。地域差もある。しかしこの能登の災害は、特に意識して忘れないよう「覚える」必要を感じています。そうしないと、彼の地とその痛みが、日本中から、教会から忘れられるような感すらする、回復など望めない現在までの5ヶ月が続いています。七尾教会の釜土達雄師夫妻は「こんなときだからこそ、祈りの手紙が嬉しいのだ」とおっしゃった。直後だけではなく、時を経たからこそ届く便りが、祈られている、忘れられていないとの証になると。
長らく、この地において忍耐をもって進められてきた能登圏伝道の業を想います。能登に限ることなく、都市部では知ることのない厳しい地方伝道の業をも想います。北陸三圏において唯一のキリスト教学校の北陸学院の働きも、教会付帯の幼稚園の働きも覚えます。
能登をはじめとする災害の痛みにある地とそこに建つ教会、教会員の生活と信仰のために、すべての教会で祈り続けたいと願います。
(野田 沢報/教団救援対策委員)