イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マルコ12・17)
安倍晋三元首相銃撃により、宗教と政治との関係が注目されている。シリーズ「問われる宗教と“カルト”」という番組で、憲法学者の駒村圭吾氏が、日本国憲法20条と24条に触れて次のように語っていた。「20条の信教の自由と政教分離は、国家神道的なある種の神権国家体制とはもう決別するということであり、このことを最高裁は何度も強調し、国家神道に対する反省からこの条文は導入されたと繰り返している。他方婚姻における両性の平等を規定している24条は、かつての家父長的な家族観、あるいは封建的な家族観と、袂を分かつということで導入されている」と。さらに続けて「しかし、現実はこの二つの領域が常に先祖返りしようとする動きが必ずある」とのこと。政教分離が骨抜きにされている例として、安倍晋三元首相の国葬を挙げている。
このような考えを進めると、2月11日の建国記念の日を祝うことや、政治家の靖国神社参拝、国旗掲揚・国歌斉唱の強制も神権国家体制への回帰を目指しているものだと言える。建国記念の日は、神武天皇の即位の日と推定された日であり、戦前の紀元節の復活である。また、靖国神社は、明治維新以後の国家のために進んで命を捨てたとされる人々を祀っている。こうした動きが、国家が過ちを犯していたとしても、それを問うことをしない歪んだ愛国心を育てることにつながるのである。本来、日本国憲法を尊重しなければならない政治家たち(日本国憲法99条)が、神権国家体制を目指すのであれば、思想・信教の自由は大いに脅かされる。従って、日本基督教団が「建国記念の日」と制定されたこの日を「信教の自由を守る日」と定めて様々な集会を開くことには大きな意味がある。かつて戦争協力をしてしまった宗教団体が、権力に利用されないように声を上げることは、二度と戦争を繰り返さないという社会的責任の果たし方の一つではないだろうか。
主イエスは、ご自分を陥れようとする人々に「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えられたが、少し考えれば、皇帝のもので神のものでないものは何一つない。すべての領域が神のものであるからこそ、政治が宗教を利用しようとすることにも、宗教が政治を利用しようとすることにも、異を唱えざるを得ない。このようにして、神のみが神とされる世界を私たちは待ち望むのである。
2024年1月27日
第42総会期日本基督教団 社会委員長 柳谷知之