祈り合う一つの体として
荒尾教会牧師・荒尾めぐみ幼稚園園長
佐藤 真史
荒尾教会は、一人の女性信徒・宮崎貞子が、1946年秋に自宅を開放し家庭集会を始めたことに端を発する。専従牧師がいない中で、宮崎の祈りと尽力は並々ならぬものだった(柚木麻子著『らんたん』では宮崎の人柄が垣間見える)。宮崎のヴィジョンは教会創立に留まらず、400坪の土地を取得し、1952年の荒尾めぐみ幼稚園創立にまで至った。
けれども、それからの道のりは順風満帆ではなかった。礼拝出席10名の地方教会で3年から5年で牧師は入れ替わり、炭鉱町であった荒尾自体も斜陽化していく中で、園児が集まらず苦労した。無牧の期間は特に苦しく、園児20名にも届かない時期もあった。閉園までも話し合ったというが、大切な宣教の業として幼稚園を文字通り死守していったのだ。
1970年代に入り、幼稚園は安定していったが、2000年代に入ると少子高齢化の波に、共働き世帯の増加が加わり、再び園児数が減少していく。そのような中で、2015年に幼稚園を幼保連携型認定こども園に移行し、園舎も新築した。一時は30数名だった園児数も、いまは約60名で推移している。その内、幼稚園型園児は10名で保育園型園児は50名。つまり、幼稚園のままだったら立ち行かなくなっていたのだ。けれども、荒尾市の人口もこの春にはいよいよ4万人台に減少し、共働き世帯増加による待機児童も解消し、「需要と供給」が逆転した。当園を含め市内の各園は定員を埋めることができなくなりつつある…。
牧師園長として日々直面する課題はこれに尽きず多岐にわたる。2017年春に遣わされた際、幼児教育に関してはまったくのド素人であり、最初は「大嵐」となってしまった。課題にぶつかる度に、教会役員会で話し合い祈った。ここ数年は、毎月第1主日礼拝後すぐに学法理事会そして教会役員会を開催している。これらの積み重ねが、荒尾教会と荒尾めぐみ幼稚園が一つのキリストの体として歩むための「命綱」だと実感している。
また、他園を訪問し、出会い、研修を通して学び、教職員とtry and learnを繰り返す中で、キーワードが浮かび上がってきた。「陽だまりのような温かいキリスト教保育」、「遊びを中心とした子ども主体の保育」、「インクルーシブ保育」、「異年齢保育」。実はどれもこれまでの歴史の中で挑戦してきたことであり、それをいま再び着目し深めようとしていることに、神の不思議な導きを感じている。
いま教会と園に必要なのはまず「祈り」だと信じ、週報の祈りの課題に必ず園のことを加えている。さらに園でも毎週最初の朝の祈りで、教会員の方たちを覚えている。信徒数よりも職員数の方が多い現実の中で、園生活において課題や苦難は、組織的にも個人的にも尽きない。そんな時、教会の〇〇さんが自分のことを祈ってくれていることを知り、どれだけ励まされるだろうか。そして、子どもたちと喜びあふれる出会いが与えられた時に、この出会いのために、祈ってくれている人がいることに気付かされる時ほど、神の愛を実感することはない。