この3月をもって他の教会に転任される教師が多くいることと思う。私は同じ所に長くいるため(4月に40年目を迎える)、近隣の教会に赴任された多くの教師と出会い、他の教会に転任される多くの教師を見送った。
私が奥羽教区の教会に赴任した頃、ある先輩教師より、「大先輩の教師から『君の骨は拾ってやるから』と言われた」と聞いた。骨になるまでこの地にとどまって伝道に励めということである。その先輩教師は、内心、「そう言われる先生の方が先に骨になるんじゃないの?」と思ったと話してくれたが、私もそう思った。実際、その後多くの先輩教師の葬儀に参列し、中には本当に骨を拾った大先輩の教師もいる。
教師の転任は神の召しによることであるが、当該教会にとってはつらい思いをすることであり、同じ地域で共に伝道に励んだ教師としてもさびしい思いがする。何よりも、教師が変わることによって教会の伝道や地域の教会との宣教協力が停滞しないかと気になる。教会の教師こそは、いつも次代の宣教を担う教師に、その働きを引き継ぐ備えをしておかなければならないと思う。自分自身隠退のことを考える年齢に近づき、そのことを強く思わされている。
今度、新たな出会いが与えられる教師には、「ぜひ先生に私の骨を拾ってほしい」と言おうかなと思ったりしている。
(教団総会議長 雲然俊美)