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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【12月】今月のメッセージ「地には平和~その声を聞きましたか」

2021年12月6日

「地には平和~その声を聞きましたか」
聖書個所:ルカによる福音書2章2節-20節 

河内松原教会 牧師 井口智子さとこ

※動画はこちらからご視聴いただけます。

12月になりました。教会の中はもちろんのこと、町の至る所がクリスマスの飾りでキラキラしています。毎年見る景色です。けれど今年は『マッチ売りの少女』のお話が浮かんできます。なぜ、あの少女は死ななければならなかったのだろうか。なぜ、救うことができなかったのだろうか。もしも、あの少女の声が聞かれていれば、と考えてしまいます。

この一年を振り返ると、乳幼児の虐待死が何度も報じられ、その都度、「なぜ」と思わずにいられませんでした。「泣き声がうるさかったから」。そんな理由も報道されていました。赤ちゃんの泣き声というものは、天使の声に聞こえる時ばかりでなく、泣きたくなるのはこっちの方だとイライラとさせられることもあります。

聞く者の心の状況で、赤ちゃんの声は色々に聞こえます。私の母は、私によく言いました。「智子は生まれてきた時、とても悲しい寂しい声で泣いていた。この世によほど生まれてきたくなかったんだなあと思った」と。子供の頃はそうなのかと思っていましたが、大人になって気がつきました。丸々と太って元気に生まれてきた私の産声は、大きな声で元気に泣いていたはずです。けれど母には悲しみの泣き声に聞こえました。実は私が生まれる頃、3歳になる姉が大病を患い、一命は取り留めましたが、これからの生涯は、見えない・話せない・半身動けないという宣告を受けていました。恐らく悲観し不安でいっぱいの母の心の声が、私の泣き声に重なったのだろうと思います。

乳幼児、特に赤ちゃんは言葉で気持ちを伝えることができません。泣き声だけが訴える手段ですが、赤ちゃんに関わる者の心の状況で、私の母のように、その訴えを見逃すこともあるということです。ましてや赤ちゃんの声が大きな元気な声とは限りません。小さな声、または声なき声かもしれません。けれどもその声を聞き留めないと、赤ちゃんの命が守られないことも起こりうるのです。

2000年前、山で野宿していた羊飼いは、ダビデの町で救い主がお生まれになると天使に告げられました。羊飼いたちは、山を下りベツレヘムへ行き、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子イエスを探し当てました。夜の闇の中、人々はそれぞれの家や宿屋にいて、町には人影も少なかったでしょう。マタイによる福音書でのクリスマス物語には、東方の博士たちは星に導かれたと書かれてありますが、ルカによる福音書では何も書かれていません。

では羊飼いたちは、赤ちゃんイエスをどのようにして探し当てたのでしょうか。宿屋を訪ねてもどこにもいない。外のどこかにいる。手がかりは赤ちゃんの泣き声です。羊飼いたちは赤ちゃんイエスの泣き声を聞こうと、どのような小さな声をも聞き逃さないように、一生懸命耳を澄ませて捜し続けたのではないでしょうか。

また、どの宿屋にも泊めてもらえず、ついには家畜小屋で出産したマリアの気持ち、ヨセフの気持ちはどうだったのでしょうか。出産は危険がつきものです。若いマリア、初めての出産です。その時のマリアの気持ちは聖書には書かれていません。どれほど不安だっただろう。その心の内を想像すると、愛おしく抱きしめたくなります。小さな命が守られるためには、その命に関わる者の命も守られなければなりません。小さな命が生きるということは希望ですが、その命に寄り添う者も希望が必要なのです。

出産直前の大きなお腹を見つつも、どの宿もマリアたちを泊めませんでした。家畜小屋での出産は、あまりにも寂しく悲しい出来事です。けれどもここで、マリアたちにとって想像もしないことが起こりました。羊飼いたちが、ついに赤ちゃんイエスを探し当てたのです。布にくるまった乳飲み子イエスを探し当てたのです。羊飼いたちは、赤ちゃんの泣き声を聞き、その姿を見つけたとき、どんなに嬉しかったことでしょう。不思議なことに、小さい命が一生懸命生きている姿は、私たちを励まし、希望を与える力があります。羊飼いたちは希望が与えられ、喜びいっぱいで「おめでとう」とお祝いしたことでしょう。そして、自分たちを探し出し、喜びお祝いする羊飼いの姿に、マリアはどれほど嬉しかったことでしょう。誰かが見つけ出してくれた。誰かが声を聞いてくれた。そして一緒に喜んでくれた。不安な心は、きっと生きていけると、希望へと変えられたのではないでしょうか。

クリスマス物語は逆転の発想です。出産を家の中でさせてもらえなかったマリア、穢れの人と扱われていた羊飼い。それは、声を奪われた人、声を上げることが出来ない人、社会の端っこに追いやられた人です。神様は、その人たちを喜びの目撃者とし、その人たちに喜びのしるしを与えたのです。

そしてクリスマス物語は聖書を読む私たちに示されました。地に平和が訪れるには、羊飼いのように探し当てなさいと。小さな声を聞き逃さないように。赤ちゃんイエスが守られたように、マリアが守られたように。それは、小さな声が聞かれること、声にならない声が聞かれること、奪われた声が聞かれること。つまり小さくされ、社会の端っこに追いやられた人の声を聞くことです。

2000年前、神様は、平和の王としてイエス様をこの世に送ってくださいました。小さい命、誰かの支えを必要とする命、乳飲み子イエスとしてこの世に送ってくださいました。

 小さな声、聞きましたか。聞こえましたか。もし聞こえないなら、聞こえるまで探し続けましょう。弱き小さき者に寄り添われる神様です。必ず導いてくださいます。その声が聞かれた時、守られた時、地には平和が訪れます。クリスマスおめでとうございます。

今月のメッセージ
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