★《東北教区》 台湾との交流
宣教協約の実質化のため
7月15日から20日まで、台湾基督長老教会の青年修養会に参加した。2018年東北教区総会において台湾基督長老教会嘉義中会との宣教協約が締結され、実質化を図り、先方より青年の参加を呼びかけられたことがきっかけである。今回、会津北嶺高校より生徒有志8名の参加が許された。
会場となった鹿谷郷は、台湾有数の茶の産地である。茶席を通して、神様が共におられ聖霊の働きを感じようという趣旨の修養会だった。趣旨通り、日中は茶席の基礎知識を座学し実践として茶席作法を学び、夜は聖書の学びとテゼの祈りを行うプログラムが組まれた。
今回最も印象に残ったのは、最終日に行われた愛餐である。お茶とバナナをいただいた。
茶とバナナは、台湾における重要な産物ではあるものの、戦時中イギリスや日本の統治によって持ち込まれ、生産を強いられたものであり、台湾にとって痛みのしるしでもある。
その一方、日本も戦争によって大きな痛みを負った。互いの痛みを分かち合い、双方の歴史を認識し理解することによって、本当に愛し合うことができる。だから、イエスが私たちのために負われた痛みに重ね合わせ、お茶とバナナを共に味わおうと語られ、愛餐を共にいただいて、主イエスの愛が満ち溢れる中で、真の和解がもたらされるよう祈りをささげた。
台湾の方々の深い愛情を感じ、今後も続く交わりの中で、さらに良い関係を築く祈り願いに応えられるよう歩んでいきたいと固く思う時となった。
宣教協約締結によって新たな導きがもたらされ、会津の高校生に今回のような出会いと交わり、学びの機会が与えられた。
主の豊かな恵みに、深く感謝する。(新田恭平報)
★《奥羽教区》 ユースサマーキャンプ
長年にわたり続けられてきた
奥羽教区ユースサマーキャンプ(ユーキャン)は今年で66回目となる。共同生活の中で自分のこれからを見つけて行く場である。おおまかなプログラムの中、キャンパーとヘルパーは、自然に自発的に交わり打ち解けた。楽しく、元気に、賛美し、祈り、働き、食べた、8月7〜9日の三日間だった。
今年は北東地区が開催地で、奥中山教会を会場に寝泊まりし自然の恵みを感じた。中高生キャンパー4名。ヘルパー5名、スタッフ5名。ヘルパーはユーキャン経験者で世代がキャンパーに近く、海外の方もいて色々な賜物を出し合い、今までの積み重ねに新たな形を加える。今年は食前にフランスの賛美を歌った。食事は自炊で協力し作る。朝食にはカナン牧場のできたてのパンを食べるのも楽しみだ。
一日目の夜は、奥中山教会の祈祷会に出席した。その後、北上川と馬淵川の源流の西岳の麓の温泉へ。街灯は全くなくなり、宇宙の中に置かれ、声のない神の御業を感じる。暫く静寂の星空を観察、流れ星に感激した。
二日目はカナンの園のアドナイ・エレで、羊の毛で壁掛け作りを体験した。それぞれの個性が出る。長年働いてきた戸田睦子さんから、カナンの園の歩み、自身の歩みを聞き、人に寄添うことの大変さ、また大きな喜びがあることを教えられた。昼食後「いわてこどもの森」に移動しレクリエーション。夕食は豪快にバーベキュー。続いてキャンドルサービスで蝋燭を囲んでユース全員の証を聞いた。
三日目はアルバムを作った。閉会礼拝では、「イエスは弟子たちにこういう自然の中で教えた。ここで得たことを次へと伝えることは新しい気付きのきっかけを与える」と締め括られた。帰るときは皆笑顔で「また来年」と別れた。ここでの体験をこれからの歩みの中で活かし、成長した姿でまた会うのを楽しみにしている。(小友 睦報)
★《西中国教区・東中国教区》 山陰ファミリーキャンプ
教区を越えたプログラム
西中国教区山陰東分区と東中国教区鳥取県西部地区では、毎年夏に「山陰ファミリーキャンプ」を共催している。
今年は8月7〜9日、岡山・真庭市の「蒜山バイブルキャンプ」で行い、32名の参加があった。両区外からも多くの参加がありにぎやかなキャンプになった。
子どもたちを中心としたプログラムになってはいるが、ファミリーを名乗る以上、大人の参加者にも楽しんでもらえるようにしている。こちらから押し付けてしまわずに、参加者が自分でこの二泊三日を楽しんでもらうよう配慮している。
続けて参加してくれている子どもたちは、あっと言う間に1年のブランクを埋めて一緒に楽しむ。新しい子どもたちもそのペースに巻き込まれ、誰が初参加だったかわからなくなってしまう光景にいつも感心させられる。そんなメンバーとともに礼拝をし、バーベキュー、川遊び、ゲーム、花火やナイトウォークなどのプログラムを楽しむ。
参加している子どもたちの教会との関わりも様々だ。家族と共に毎週のように教会に通っている子どももいれば、キリスト教に触れるのはこの二泊三日だけという子どももいる。そのような子どもたちが、大自然の中で、仲間と一緒にキリストの愛にふれる機会になればと願っている。
教会単独ではこのようなプログラムを持つことができない教会が少なくない。参加者を送り出すのも難しい中で、このキャンプの意義を認め大切にしてくれている両分区・地区内諸教会の思いによって続けられていることも強く思わされる。(奥田 望報)