もう40年も前になる。当時全盛期にあった全共闘運動の最中、駒場東大のタテカンのことが妙に甦る。
「敵を恐れることはない。せいぜい君を殺すだけだ/友を恐れることはない。せいぜい君を裏切るだけだ/無関心な人をこそ恐れよ/殺しもしないし/裏切りもしない/だが彼らの無言の同意があればこそ/地上に裏切りと殺戮とがあるのだ」
これは次元の相違こそあれ、打って出ようとする者が味わう実感であろう。
赤十字の創始者の一人J・S・ピクテ博士が言ったそうだ。「無関心は長期的には、弾丸と同じく人を殺す」。
伝道戦線においてもこの無関心にさらされるということは最大の問題なのではないか。無関心の壁をいかに打破するかに我々の努力は注がれていると思う。
英語にA voice in the wilder-nessという表現がある。これはマタイ3章3節の「荒れ野で叫ぶ者の声がする」というバプテスマのヨハネのことをいうのだが、いつしか「誰も聞いてくれる人のいない演説」という意味になった。
内でガンガンやり合う声よりも外なる「誰も聞いてくれる人がいない」無関心な人にどう声をかけていくかということを考えていかねばならぬ。
無関心の人々に肉迫する声を響かせて目覚めを与えられることができる教会のみが残っていくのであろう。この厳しさを思う。
(教団議長 山北宣久)