被災地・神戸では1995年1月17日の兵庫県南部大地震以来、毎年追悼の祈りを込めてこの日に礼拝を続けています。震災10年を契機に、改めて「『兵庫県南部大地震記念の日』追悼礼拝」と位置づけ、礼拝してきました。今年も17日夕、被災当時救援活動の拠点として、また遺体安置所として役割を担った神戸教会を会場に、関西だけでなく全国から244人の出席者を得て礼拝を行ないました。教団新報にはしばらく追悼礼拝の記事は掲載されておらず、かねてから私たちの思いについての取材をしていただけないかと思っておりました。ところが今年は編集部から兵庫教区に記事の執筆の依頼ということでした。それを受けて兵庫教区阪神・淡路大震災特設委員会において協議しましたが、もし自分たちの責任において記事を書くのであれば、単に出席しての感想を書くのではだめだろう、自分たちはどのような思いで毎年追悼礼拝を準備して来たかを全国の諸教会・伝道所にお伝えする必要があるだろう、との意見が交わされました。そのことも含めて、今回は報告をさせていただきます。
今年の主題は、「震災15年~ささやかな関わりの中で感じたこと」、説教奉仕者は穂積修司さん(播磨新宮教会教師)でした。穂積さんは兵庫県出身。15年前の震災当時は横田相愛教会(西中国教区・島根県)におられましたが、当初から被災地の支援活動にたずさわり、兵庫に転任後も教区や播州地区の救援活動を担ってこられた方です。また穂積さんは播州地区主事としても働いておられ、昨年の台風9号による兵庫県西部・北部水害において、佐用町等への救援ボランティア活動の中心としてコーディネートの役を果たされました。追悼礼拝の準備においては、被災後当初はご本人が被災を経験された方に追悼の意を込めて説教をお願いしていましたが、「あの時」のみならず、その後長く続いている被災者・ご遺族の痛みと関わり、以後発生した災害を含め支援活動の働きを共有することも「追悼」の要素として欠かせないと考え、説教者の依頼をする形になっています。今回穂積さんにお願いしたことには、その思いも強く働いています。
穂積さんは震災の直後から現在にかけての関わりを述べられる中で、多くの方々からいくつもの気付きが与えられたこと、自分の姿勢や感性さえもそれらの事柄から試され、新たにさせられたこと。それらについて謙虚な語り口で話されました。被災の当事者ではない立場でありつつ、側に立ち続けてきた経験が静かに語られていました。穂積さんと日常接していた者としては、普段働かれる姿の奥にある思いの深さに思い至らされるものでありました。この追悼礼拝説教については、各教区総会で配布予定の『兵庫教区震災ニュース』に全文を掲載する準備を進めています。どうぞその文章をお読みいただき、思いを共にしていただければと願っています。
追悼礼拝においては、「1月17日人と自然の共存を祈る」に加え、毎年「震災5年目の宣教にあたっての告白」を全員で唱えています。また「大地震子ども追悼コンサート」の中で作られたうたを毎回歌ってきています。また直前のハイチ大地震を踏まえ、礼拝献金の送付先に緊急に長田センターを通じての救援募金を追加しました。震災15年が経過し、関わる者の間においてさえ体験や課題の継承が決して簡単でなくなっている中、様々な意見があることは承知しています。被災者が分断され見えなくさせられている中、また新たな大規模災害が発生するたびマスコミを始め一般の関心が集中してその前の被災地への関心が失われてしまう中、私たちの力量も感性もはなはだお粗末なものであることを痛感させられます。それでもあえて私たちは、あの大地震の際に被災者・ご遺族を覚える礼拝を、被災者でありつつ支援者であった私たちのなすべき務めとして始めたことを忘れず、これからも途切れず、共に被災を覚え、祈り続けていきたいと願っています。
(市川哲報/篠山教会牧師)