「何故部落差別が今だに残っているんだろう。差別はなぜおこるのか?」このような基本的な疑問をもって多くの人が今年も第八回部落解放青年ゼミナールに集った。八月九~一二日、京都から大阪のいずみ教会に会場を移し行われたゼミは二年目。部分参加等も含めて総勢五九名の方々が関わってくださった。
参加者の半数は一〇代・二〇代という知識も経験も若い私たちであったが、だからこそ語り合える現実というものがあったと感じる。遠くは北海道からの参加、また韓国の大学生との交流・対話の時が与えられ、今後の関係性の継続も期待される。東岡山治部落解放センター運営委員長による開会礼拝では、ご自身の歴史を踏まえ人間解放に向けての希望が力強く語られた。
昨年に引き続き地元の青年との交流、また初めての試みとして彼らの活動であるDASHとの共催の公開講演会が行われた。基礎講座と各地における現実が様々な視点から報告された。青年ゼミ自体はクリスチャンに拘った集りではないが、その多くが教会での働きを担う者たちである。地元の青年たちとの出会いは、「いばらの冠」に示されたキリスト者の闘いの歴史の深さと広がりを改めて感じさせられるものでもあった。
実行委員会を立上げ一年かけて準備がなされた。聞く活動だけではなく、自ら動く活動への転換をも期待しつつ、日々の礼拝・一部のプログラムの担当を積極的に若い年齢層に依頼した。自らが担当することによって改めて学びの機会が得られたとの声も聞かれた。その一つ、ワークショップは、参加者の印象に残った。情報化社会といわれる昨今であるが、私たちには知らされていない現実が沢山ある。沖縄・辺野古の基地問題、日本における歴史教育の現状からそれらを問い、狭山事件における差別の実態を、知ろうとしない無関心と知らされていない情報操作との両面から見直された。明るい語り口が印象的だった福田智之さんのお話は、その明るさ以上のものを参加者の心に深く刻んだ。日常的に差別に対し敏感な感性と「あなたはどう考えるのか」という自らの思いを言葉にしていくことの大切さを語られた。仲間の言葉、この地で働く者の姿、礼拝のひと時、自分の心の動き、様々な出会いの喜びがあった。この、心を大きく揺さ振られた体験が、解放運動の未来への希望となるようにと願われ、会は閉じられた。
(鈴木祈報)