一一月二三~二四日、富士箱根ランドスコーレプラザホテルを会場に開催された西東京教区伝道協議会で、日本に於ける現在の教会事情に照らしても大いに注目すべき主題講演がなされた。山口隆康東京神学大学教授による『伝道する教会(の建設)』がそれである。 講演は、箴言の「幻がなければ民は堕落する/教えを守る者は幸いである(29章18節)」の引用で始められた。
「『民(信仰者)が、堕落する』とは、『民がわがままにふるまう』という意味であり、『わがまま(堕落)』は自己追求の罪、神への服従の反対語で、『伝道の幻』は、わたしたちを堕落した信仰者、即ち、わがままで自己中心的な『神への服従なき信仰者』から解放してくれる。私たちが伝道する理由は、それが復活の主イエス・キリストのご命令だから、『あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい…マタイ28章19~20節』。わたしたちが、この主のご命令に服従していくときに『民のわがまま』という信仰者の堕落から解放され、自分を献げる喜びの中へと招き入れられる」。
当初は耳慣れない神学『術語』に途惑いも感じたようだが、一語一語も丁寧に語る講師の声に、聴衆は次第に魅せられ、その世界に招き入れられて行った。
・教会学としての伝道学
本論は、三部構成になっており、その第一章では、「日本という伝道地で、伝道を展開し、推進する」べく『教会学としての伝道学』が提唱された。
「伝道に関する神学的認識や理論にとどまり、実際には福音伝道を進めることができない『理念』に過ぎないとしたら『伝道学(論)』と呼ばれるに値しない。伝道という課題・目標に対して『説明理論』『解釈装置』ではなく、『推進装置』でなければならない」と『伝道を推進する伝道学』が強調された。
また、既成の伝道論を分析、四つの型に類型化し、「それらの前提となる思考形式は、思考の枠組みや思考構造が『伝道を推進する伝道の神学』になっていない」と指摘した。
その上で、「伝道推進を可能にする伝道の神学となるには、この問題を解きほぐさねばならない。建築物に譬えるならば、既成の伝道論のパラダイムを一度更地にして、基礎部分から確認しつつ再建築し直すような思考が必要である」と大胆に述べられた。
更に、既成の伝道論を「伝道が進む場合、また進まない場合の実態を認識し、事後説明をする理論であり、解釈装置である。伝道が進むにせよ、進まないにせよ、要するに説明理論なのであり、解釈装置としての伝道論である」とし、「この問題点を克服するためには、推進装置そのものである『教会学としての伝道学』が要請されることになる」と、繰り返し強調して提唱された。
講演に聴き入りながら、「伝道とは何か」ということさえ多様に解釈され、曖昧になって行く時代の現実の中で、伝道しない、伝道出来ないことの理由説明ばかり巧みになっている自分を発見し、慄然とした。
・『伝道黙想』が必要
第二章では、「『教会の学としての伝道学』を構想するには、福音伝道の閉塞状況が打破され、活ける水が泉からあふれ出ることを求める思考が要求される」「礼拝説教の準備過程においては霊の現臨のもとでの説教黙想を欠くことはできない。伝道の神学の構想においても聖書を前に置き、福音伝道という課題のめぐる黙想を欠くことはできない」と、『説教黙想』と並ぶべき『伝道黙想』の必要が提唱された。
また「使徒言行録」をテキストとした山口牧師自身による『伝道黙想』の実例が六例示された。紙数の制約がありその要約さえ紹介できないが、特に印象的だった第六節【アレオパゴス論争と教会の歴史 現代世界との対話】の断片だけを以下に記す。
使徒言行録第24章1~27節。「パウロはなぜ皇帝に上訴したか…ローマの市民は、民衆の前でローマの法律によって裁判を受け…自由に弁論できる権利がある…パウロは、皇帝に上訴したことでキリスト者の証しの形を鮮明に打ち出した」。
日本では「諸宗教は、伝道活動によって自由に国民の中に根をおろすことが認められ…どの宗教も伝道活動によって自分の存在意義を社会に対して表現せねばならない…宗教は伝道という自由競争において、教団の存在価値を実証せねばならない」。
「イエス・キリストの十字架と復活の出来事は、教会を成立させると共に、地上の社会とすべての人間に価値あること…国家が宗教(教会)に対してどのような態度をとるかは、日本社会における民主主義の健全さを測ることになり、国家としての実力を表現することになり…それと共にキリスト教会の実力も、日本社会における伝道活動の進展において評価されることになる。…政教分離を原則とする社会においては、伝道活動そのものが重要な〈社会的活動〉である。大胆に表現すれば、キリスト教会が日本社会で伝道を進展させればさせるだけ日本社会は健全化する。
現在の日本社会は深く病み、癒しを求めている。日本社会は、真に実力のある宗教による癒しを期待している。社会は『まことの福音』を求めているのだから、福音伝道こそ日本社会にキリスト教会がもっとも貢献できる社会的活動であり、社会的奉仕であると言える」。
・『伝道する共同体』の形成
第三章は「教会の学としての伝道学のスケッチと実践」。山口教授が神学大学を卒業して以来、留学期間を除いて、殆どの期間携わってきた開拓伝道、特に、五反田教会と玉川平安教会での実践例に焦点が充てられ、両教会の協力による新しい形態の伝道、横浜市営地下鉄、センター北駅前に展開する都市伝道が紹介された。単に事例の紹介に留まらず、その伝道的意義が、具体例を通して語られた。興味深いものであったが、ここでも紙数の関係上詳細を報告することは許されない。以下に抜き書きする。
「『伝道』とは『御言葉に聞く教会を形成しつつ、福音を地の果てまで宣教する』(一九九五年九月日本基督教団常議員会による決議)ことである。伝道を進め、展開していくために欠くことのできない課題は、『伝道学とその実践』である…『伝道の神学』は、机上の空論であることはゆるされない…具体的な伝道活動の推進と教会建設によって具体化される」。
「アンティオケ教会から福音伝道に送り出された使徒パウロは、その書簡を連名にしている。この事実は、パウロの伝道活動が個人プレイでなく、その手紙の差出人を連名にするほどに『伝道する者たちの交わり』があったことを物語っている。そこに『伝道する共同体』があった」。
「伝道を進める祈りの共同体は、一個教会の枠を突破し『伝道する教会共同体』をそこに形成する」。
以上、講演の概要でも、ダイジェストでもなく、一聴衆として聞き取り、心に刻んだことを報告する。決して平易な主題ではなかったように思うが、熱心に聞き入り「もっと聞きたい、教会にお招きしたい」と感想を言う信徒の出席者が多かったことが印象的であった。併せて報告する。
(文責・教団新報編集部)