伝道、降りて行く働き 日立教会牧師 島田 進
能登半島・輪島教会で7年間、新潟県中越・見附教会で22年間、そして茨城・日立教会に10年間と伝道者・牧会者に献身して今年39年目を迎えた。
そして奇遇なことには、私が奉仕した教会は皆(前二つの教会は転任後であったが)、大地震と遭遇して被災し、全国の教会・伝道所のお祈りと熱い支援に支えられて復興を遂げた。
現在も仕えている日立教会は、関東教区や茨城地区の最北端に位置する地方教会である。教会からさいたま市の教区事務所へ行くために、常磐線の上り電車を、車の時は常磐道の上り線を、利用する。教団本部がある首都圏、大阪などの大都市圏へ出かける時も上り線を利用する。
私の目は自ずと上向きとなり価値観も上昇志向であった。しかし2年前の、あの3・11東日本大震災に遭遇して、私は、視点や視線が変えられたように思う。
地震の震源地が宮城県沖で大津波の甚大な災害、そして福島第一原発事故の災害で、首都圏ではなく、今までとは正反対の方向、ほとんど意識しなかった東北に、福島県に、私たちの目は向けさせられた。
日立市の北50キロ先には福島県いわき市があり、そこは東北教区、教団の3つの教会がある。
東日本大震災で被災した日立教会は、関東教区埼玉地区からの素早い支援を受けて、ライフラインの寸断、ガソリンや食料、生活用品などが不足する困窮の中にも最小限の必要が満たされて、徐々に落ち着きを取り戻すことができた。
支援を受けた大きな喜びが、また支援したいという使命感となり、3月の定期教会総会は、「いわき市内の教会に協力し支援していく」という緊急動議を牧師が提案し、全員一致で承認し、教会挙げての支援活動が展開された。
いわき市の運送会社が放射能汚染の規制圏内にあって集配不能という事態に、日立教会が支援物資を受け取り、いわき市内の教会へ転送し、合わせて、水や食糧、灯油やガソリン等も届けた。また、日立市内の他教派教会と協働して、被災者に炊き出し支援も行なった。
あの時は、ガソリンが絶対的に不足していて、ようやく入荷したスタンドには徹夜で並び長蛇の車列ができるという状況下で、よくぞガソリンを手に入れて物資を運べたものだと驚くばかりである。ガソリン切れをいつも心配しつつ走り続けていたが、一度もガス欠で立ち往生することはなかった。
今考えると不可能と思うことばかりで、まさにあのとき、主も働いていて、いつも奇跡を起こされたのだと思う。
地震から2年が経過した。私も教会も生き方が変えられたと思う。立派になるという上を目指す生き方ではなく、降りて行く生き方である。福島の教会との交流やいろいろな支援が無理することなく、楽しみとされながら続けられ、日立教会も恵みと喜びで満ち溢れていることを感謝している。
マタイ福音書28章16~20節に、ガリラヤの山上での、主イエスの世界宣教命令のお言葉が記されている。19節の「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」は、山から降りて行くことが加味されていると思う。教会の働き、また伝道とは「降りて行く」働きではないだろうか。「ザアカイ、急いで降りて来なさい」(ルカ19・5)。恵みの招きである。