2・11メッセージ
もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。」
(一ペトロ3・13〜15)
自分の生まれた年の1966年に「建国記念の日」が制定されました。
個人のあらゆる思想信条や信仰を抑圧し、もともと日本神話に由来する天皇制を強要するために、明治憲法下の1873年に2月11日を日本国が成立した日として「紀元節」という祝日に定められました。第二次世界大戦中、天皇を「神」として崇拝することが強要され、国民がその監視下に置かれ、キリスト教をはじめ他の宗教にも迫害と弾圧がなされていました。日本では自分の信じる神さまを自由に信じて生きていく自由が侵されました。
戦後廃止されたものの、最終的には天皇制存続を意識した「建国記念の日」として復活させたのです。天皇制によって信仰が弾圧されてきた日本のキリスト教界(宗教界)は、諸教派の枠を超えて2月11日を「信教の自由を守る日」としました。
日本におけるキリスト教人口は少数ですが、少数であったとしても日本国憲法に保障されている基本的人権の中にある「信教の自由」に立ち、毎年この時に確認することが求められているのではないでしょうか。「これしかダメ」という枠付の社会ではなく、「これもある」という様々な情報の中で自由な出会いの場が与えられ、そこから神さまとの出会いという他者が強要することのできない招きに導かれていくのだと思います。
今、世界を見ると、多様性を受けとめ、声として挙げることのできる自由の中にあります。他方、まだまだ苦しみ呻きの中にあって声を出すことさえも抑圧されている政治的迫害の中、大きな監視統制によって個人の自由が踏みにじられていく姿がアジア、中近東、アフリカを含めた世界各地にあることを知らされています。日本が戦前・戦中に行ってきた姿が再現されるかのような形で、個人の自由が国の支配によって束縛・強要されてはなりません。
「信教の自由を守る」ことを考えるとき、世界、国、社会、そして基本となる私たち一人ひとりの自由(互いの意見を尊重し合う中で排除ではなく対話と祈り)に思いを寄せることが大切だと思います。与えられている信教の自由を通して自分の知りえる範囲の情報を吟味し、身近なところにある課題を見つめ、世界の中で苦難の中にある人々のために祈りを合わせることができますように。
2022年2月11日
第41総会期日本基督教団
社会委員 庄司宜充