【4747・4748号】ペンテコステ メッセージ 霊の執り成し、言葉に表せない呻きをもって

聖霊の働きなしには

復活された主に出会い、主から「地の果てまでわたしの証人となる」との約束をいただいた教会は、祈り準備を重ねて50日目、ペンテコステの祭りの日に、突然、天から激しい風のような音、炎のような舌によって、聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだしました。この事実をもって教会の出発の出来事とします。
教会の初めを、ペンテコステの出来事においていることは意義深いことだと思います。主の十字架の死による贖いと復活の事実を証しする宣教が、それに伴う聖霊の働きなしには生きた実りある働きにはならないことをわきまえているからにほかなりません。
教会に足を踏み入れ、聖書の言葉にふれる多くの人は、聖霊のことが分からない、と言います。確かに、霊は風のようなもの、息のようなもので、目には見えないし、その確かな実態を捉えきることはできません。
しかし、しばらくするうちに教会生活に慣れ、先輩の祈りにふれるうちに、聖霊という言葉の便利さをおぼえて、安易に聖霊の名が呼ばれ、まるでアラジンの魔法使いを呼ぶかのように、聖霊が乱用されることがあるのではないかと恐れます。わたしたちは「父と子と共に礼拝される聖霊」そのかたに向き合い、その働きと力に与り、地の果てまで証人となる使命を果たしているでしょうか。

永遠の命へと解き放つ働き

ローマの信徒への手紙を通して「聖霊の執り成し」について確認したいと思います。ローマの信徒への手紙は8章でクライマックスに達しますが、そこからまるで堰を切ったように “霊”という言葉が多く出てきます。「キリスト・イエスによる霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」(2節)、に始まり、「霊に従って歩む」とか、「神の霊によって導かれる者」、「キリストの霊」といったように、それまで散見するだけだった“霊”がここにいたって、急に光があたり、霊の働きの重要性が語られるのです。「キリストの霊をもたない者は、キリストに属していません。キリストがあなたの内におられるなら、体は罪によって死んでいても“霊”は義によって命となっています」と、罪と死に閉じ込められているわたしたちの命を、永遠の命へと解き放つ力強い霊の働きが語られます。

正しく霊と交わりを持ち

3章21節以下の、この書の中心主題、「信仰義認」は、「律法の行いによるのではなく、キリスト・イエスを信じる信仰によって義とされる」と語られますが、ここで語られる“信仰”、これは人間の側の人格の中心においておこる主体的な応答作業です。しかし、義とされるという恵みは“賜物”であって“霊”という神の側の働きと力なしには実現されないことを教えられるのです。
ここではっきりさせておかなければならないことは、パウロが“霊”と語るとき、それは、霊感のような人間の精神に内在する霊的、神秘的な働きではなく、キリストの霊、神の霊であるということです。その霊は、主イエス・キリストの生涯を通して表わされた人格、十字架の死と復活を通して成し遂げられた贖いの業、罪の赦しと和解と自由を含むすべてのキリストの現実が現実として生きて働き、その力を発揮する事態を表わしています。従って、「霊に従って歩む」は、「キリストの霊を持つ」ことであり、「キリストがわたしたちの内にいる」ことを意味するのです。“霊”が機械的なものではなく、このように人格的なものであることを知ることがなければ、霊に従って歩むことは、ただやみくもに自分に都合のいい助けを求める宗教と異なりません。
しかし、正しく霊と交わりを持ち、霊に従って歩むとき、「この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶ」、神との真に信頼に満ちた関係が回復され、その中で生きる新しい生が始まります。
“霊”による執り成しが語られるのは26節で、「同様に“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せない呻きを持って執り成してくださるからです」と記されています。すべての被造物が虚無に服して呻いていること、また、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも体の贖われることを待ち望んで心の中で呻いていることが語られて、その後で、霊も言葉に表せない呻きをもって執り成し、弱いわたしたちを助けてくださる、と慰め深い言葉が語られます。

霊の執り成しの祈りとして

“霊”はまさに一個の人格的なものとして、共に呻き、わたしたちの言葉に表せない祈りを神に聞き届けられる祈りへと変えて、執り成してくださるのです。
ここで霊は「助ける」、働きをすると語られていますが、この助けは、共に苦難を引き受けることによる助けであって、一時的に手を貸す、助言をする、といった類の助けとは明らかに異なる語が、原語では使われています。下からの叫びを遠くの高みより聴きとるのとは違って、わたしたちの側に立って、わたしたちと同じ心になって、言葉にならない祈りを取り上げ、神に聞き届けられる言葉に翻訳して、わたしたちのために祈ってくださるのが霊です。
ヘブライ人への手紙では、「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声を上げ、涙を流しながら、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」(5章7節)と記されています。
そのキリストの祈りは、「霊の執り成しの祈り」として、今、わたしたちのただ中でわたしたちのためになされていることを知るのです。主イエスの名によって祈るわたしたちの祈りは、まさにこの霊の執り成しに与っているということです。

霊の祈りを聞く霊が

興味深いことに、霊の働きは二つに分かれています。弱いわたしたちを助けて執り成す霊、「アッバ、父よ」神に向かって呼ぶことを促す霊、これは明らかにキリストの霊です。ところが、「イエスを死者の中から復活させた方の霊」があって、この霊が「あなたがたの死ぬはずの体を生かしてくださる」というのです。そして、霊が言葉に表せない呻きをもって執り成す時、「人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます」と、霊の思いを聞く霊があるのです。このような父と子の「霊の交わり」の中にわたしたちは入れられていることによって、弱いわたしたちは「命をもたらす霊の法則」の中に生きることができるのです。
今日のわたしたちの教会の現状を顧みる時、わたしたちほど御霊の交わりに枯渇し、必要としている者はいないのではないかと思わされます。創り主なる聖霊よ、来てください。

秋山 徹
(上尾合同教会牧師)

 

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