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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4734号】半年後の被災地 非日常の光景を目の前にした日常の中で

2011年10月22日

9月15日から16日にかけて、新報記者2名が被災地に入った。初日の午前中に仙台でレンタカーを借り、翌日夜の返却時の走行距離は650キロ。一泊二日という強行日程の中、被災地で感じたこと、印象深かった光景、言葉などをここに記すこととしたい。

半年は経過したが》
今回の取材の目的は、震災から半年が経過した被災地の様子、特に、教会の働きを中心に、そのことを全国の諸教会の皆さんに新報という場を通して知っていただくということが主なことであった。しかし、取材を続けていく中で、この半年という時間的な区切りが必ずしも被災地の人々にとって意味のある区切りではないということを強く思わされる2日間となった。
もちろん、意識的に、この区切りのときを一歩踏み出すきっかけにしようとしているという声も聞かれたが、そのほとんどが、目に見える状況は半年で多少の変化はあるものの、人の心は半年を意識するところまでの余裕はないという声であった。
《土台のみ》
最初に訪問したのは、東北教区被災者支援者センターが置かれている東北教区センター「エマオ」。震災から半年後も、日々変わらずボランティアが集い、被災者との交わりの中でその活動が続けられている様子を伺った。ボランティア活動の直接の取材はかなわなかったが、ボランティアが派遣されている地区に入り、その状況を目にした。
同行いただいた宮城野愛泉教会の國津信一牧師は、震災後その地区に入るのは初めてだということであった。震災前は頻繁に訪れていた地区だったが、震災後はなかなか一人で訪れる気持ちになれなかったという。建物の土台だけが残された広大な光景は、これからその土台の上に建物が建てられ、広い住宅地がそこに出来上がるのではないか、そんなことを思わされるものであった。しかし、現実は真逆なのである。無造作に生え茂った雑草、そこに半年の月日があった。
國津牧師から、震災直後の教会の働きを聞き、震災当日の帰宅困難者の受け入れに始まり、被災者の避難所として教会を開放したこれまでの日々の苦闘を聞いた。
《焼け跡の匂い》
仙台を離れ、石巻に向かう。エマオで助言され、内陸のバイパスではなく、あえて時間のかかる沿岸の一般道を走った。途中目に飛び込んできたのは、先ほどとは違い、ほとんどといっていいほど瓦礫撤去が進んでいない地域。半年の時間が意味をなしていない地域がそこにはあった。
石巻山城町教会を訪問し、関川祐一郎伝道師の案内で石巻の状況を目の当たりに。今回2日間の中で、焼けた匂いが一番残っていたのが石巻であった。印象深かったのは、犬の散歩をしている人に多くすれ違ったことであった。おそらく震災前も犬の散歩コースだったのだろう。飼い主の表情は、そのことで必死に日常を取り戻そうとしている、そんな表情に見えた。
日和山から被災地域を一望し、教会に戻った。そこで関川伝道師からこの半年の様子を聞くのであるが、新卒で4月にこの教会に赴任したばかりとは思えない様子で語るその姿は、被災地での半年と、そうでない地域での半年の時間の違いを感じさせられるものであった。
《バックアップ》
2日間という日程の中で、できる限り被災地の様子を肌で感じたいとの思いから、2日目は仙台から北上し、遠野経由で岩手の被災地に入った。遠野教会をまず訪問し、三浦洋一牧師に半年の様子を聞く。内陸に位置する教会は、沿岸部への物資運搬ルート上にあり、宮古、大槌、釜石へのボランティア派遣の前線基地的な働きを担っていた。教派を越えた働き手が集結している様子を聞きつつ、教団の動きと教団以外の教派の動きの比較から、教団の震災対応のあり方について意見を聞く貴重なときとなった。被災地支援、復興のために教団のなすべきことは非常に多い。
遠野を後にし、大槌町へ向かう。町の惨状を目にし、改めて津波の恐ろしさを思う。一方で、プレハブ小屋の仮店舗で商売を続ける人々に、被災地の意地とプライドを感じさせられた。
《被災地の笑顔》
2日間の取材で最後に話を聞くことができたのが新生釜石教会の柳谷雄介牧師であった。新生釜石教会が、特に震災後の半年間、地域の中でどのような働きをなしてきたか、また、地域の中でどのような場となってきたか、牧師の表情でうかがい知ることができた。働くだけでなく、休む必要性を語り、「必要なのは物資ではなく笑顔である」と、満面の笑みで語られた。
一方で、半年ということを意識したわけではないが、これまでのあり方から少し別の方向を模索する必要があるといい、復興についての貴重な言葉も語られた。「何事もなかったかのように元通りにすることでよいのだろうか。町も教会も、あえて傷跡をもったまま、新しい創造へと向かうことが必要ではないか」。瓦礫から拾い出され、傷跡そのままに修復された「洗足のキリスト」の額を前に語られた言葉は、被災地の復興とは何なのか、教会の復興とは何なのかを深く考えさせられる言葉であった。
その後、早足に、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸を抜け、仙台に戻ったのだが、南三陸町沿岸部の壊滅的な状況は、日が暮れかかっていたことも相まって、車を走らせながら恐れすら感じるものであった。津波での海水がまだ引ききらず、いたるところに残っており、それが半年後の被災地であった。
《御言葉と     祈りと共に》
新報の取材は単なる取材ではない。訪問先で御言葉を共有し、祈りを合わせる取材である。しかし、被災地での取材の困難さを覚えたのも事実である。被災地の人々の「取材」という言葉に対する思いは簡単なものではない。だからといって、被災地取材を止めるわけにはいかない。今後も、被災地の人々の様々な思いにしっかりと向き合いつつ、御言葉と祈りと共に、取材を続けて行かなければならない。
取材に応じてくださり、貴重な言葉を紡いでくださった皆さんに、この場を借りて感謝を申し上げたい。
(林牧人・小林信人報)

 

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