今年の1月に新報の編集主筆に就任してから、取材する機会が増えた。それと時期を同じくして、偶然にも取材される機会も増えた。今仕える教会の会堂が歴史的建造物ということもあってか、今年度に入ってからキリスト教主義学校のPTA会報の教会紹介欄と某新聞の文化面の教会を訪ねる連載に続けて取り上げていただき、牧師として取材に応じた。▼できあがってきた原稿を読んでみると、記事のまとめ方や構成など大変参考になる。一方で意図したニュアンスとは違った形で伝わっていると感じるところもある。ただ確かに自分の言ったことであるし、訂正を求めるほど違っているわけでもない。逡巡しながらもそのままOKを出した。▼熟練の記者が書いた記事でもこういうことがあるのだから自分自身、今まで取材に応じてくださった方々に複雑な思いをさせてしまってはいないかと考えさせられた。しかしだからこそ、気を引き締めて取り組んでいかねばならないという新しい思いに導かれたのは幸いだった。▼そういう意味では主筆とされたタイミングで取材される機会が続いたのは決して偶然などではなく、主の深い憐れみなのだと確信する。






