伝道報告 伝道推進室より応援した教会・伝道所
消えかけた灯心を消すことなく
有田教会・伊万里教会牧師(兼務)
工藤 俊一
戦後1946年、県立伊万里高校生徒坂井智淑氏らを中心に聖書サークルが結成されたことで教会設立の歩みが動き始めました(このため創立記念日を1946年5月17日としています)。
47年、唐津教会齋藤信篤牧師が伊万里に出張伝道を開始され、翌48年に田代栄二兄の伊万里高校赴任により同校聖書サークルと齋藤牧師の集会が合流しました。49年12月、教会設立が承認されました。当初、集会場所は定まらず、保健所の2階、個人の家、伊万里駅構内でも礼拝を守りました。54年に現教会所在地に民家を購入、会堂としました。
56年には宗教法人の認可を受け、11月に初めての定住牧師岩岡道行牧師を招聘しました。岩岡牧師を中心に日曜日9時〜CS、10時(10時30分)〜朝拝、19時30分(20時)〜夕拝、水曜日19時〜聖書研究祈祷会、土曜日19時〜讃美歌指導、と伝道に励みました。
58年会堂建築。牧師不在時には信徒が会堂に住み込みました。67年7月末、伊万里川氾濫により床上浸水被害も蒙りました。牧師の着任により受洗者が与えられ礼拝出席は上向き、牧師転任により教会員の入替り、礼拝出席者減少が繰り返されました。
83年、池上信也牧師が就任、中村信嗣牧師と共に伊万里・有田・波佐見3教会「共同牧会」に取り組みました(その後、更に3教師5教会体制へ)。しかし、「滅び行く所にこそ福音を」という3教会の連帯は十分な実りが上がらず、数年後解消されました。
87年、教会設立40周年を機に40周年記念誌が刊行されました。それから約40年、その後も牧師の転任・異動は続きました。周りの教会に助けられながらも、「牧師にふりまわされて」きた79年の歩みでした(16人の教師、主任在任32年、兼務代務45年)。しかし、教会設立申請書に名前を連ねた山下巌兄、篠原信義兄、旧会堂に住み込まれた小島久實枝姉が長く教会を支え、礼拝を守ることで、これまで伊万里伝道の灯を掲げ続けることができました。天に召された篠原信義兄の信仰を、今は3人のお子さんである有尾栄子姉、門愛子姉、篠原恵子姉が受け継ぎ、教会を支えてくださっています。
「日本一のボロ教会」(40年記念誌 賀川豊彦 言)、しかし、そこにこそ「ある時は一人か二人で礼拝を守った時もあった。教会が続くかなと思ったことさえあった。神様は働いてくださった。いや、今も働いてくださるのだ」(40周年記念誌)という小島久實枝姉の言葉が響きます。
地方の小さな教会、伊万里の地で「のたうち廻った79年」にこそ、消えかけた灯心を消すことのない十字架の主イエスさまの憐れみ、誰一人見棄てることのない父なる神さまの栄光が輝いています。これからもこの伝道の歩みが感謝の内に守られますように、祈りつつ。






