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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【5021号】伝道のともしび(4面)

2024年7月27日

伝道推進室より応援した教会・伝道所

「さまよう人々」たちかえりて

竹野伝道所(代務)牧師 山本 桂子

 竹野伝道所は特定の教派や教会、牧師による開拓伝道等でできた教会ではない。この地の住民によって自発的に形成され、続けられてきた教会だ。戦時中、フィリピンで捕虜となった与田敏夫という青年がクリスチャンの看守を通してキリスト教を知り、故郷の竹野村に復員した後、1946年に数名の仲間とともに小学校の教室で聖書研究会をはじめたことによる。同じ年に竹野で一般市民に向けた伝道講演会が開催され、講師だった岡山の内山下教会・ 吉野勝栄牧師が、その後も月に一度聖書研究会のためにやって来た。与田氏の妹で当時小学生だった田中美智子さんは、自宅で行われる聖書研究会に大勢の若者が集まり、母がたくさんの食事を用意していたこと、讃美歌を歌う時は自分もその中に入って歌ったことなどを覚えている。いつも歌われていたのが239番(54年版)「さまよう人々」だった。それはある意味で彼らの道のりを暗示していたのかもしれない。

 1951年以降は兵庫教区但馬地区の教会の牧師が関わることになり、天幕伝道を経て、1959年に教団認可を受けて竹野伝道所となった。会堂を持たず、 主任者を招聘したこともなく、礼拝は代務者や地区内教師が担当し、空き家や信徒宅など場所を移動しながら活動が継続されてきた。信徒伝道者という名前こそつかないが地域における日常的な伝道者としての働きは信徒が担ってきた。教会活動は少人数で維持されてきたが、2006年に借りていた場所を退去し礼拝場所が失われた。この時教会員は前述の田中さん1名になっていた。教会が単独で対処できることはなく閉鎖や合併も考えられたが、竹野から福音の灯を消したくないという強い思いを受けて、兵庫県北部の8つの教会からなる但馬地区は、 教区常置委員会に対して、 教区内の教会が置かれた状況に対して教区としてどう向きあうのかという問いを投げかけた。最終的に但馬地区が主体となって民家を購入し、2008年に竹野伝道所ははじめて自分たちの会堂を得たのである。

 これと並行して兵庫教区では、 地方の一教会で生じる事柄は〝その教会の問題〟 ではなく、 教区の宣教の課題であるという教区としての共通理解を表明した。当時はこの内容にピンとこない教会も多かっただろうが、2024年現在、15年以上前に竹野が直面した状況は都市地の教会でももはや他人事ではなくなった。信徒数の減少はリカバリー不可能であり、教師を招聘できない、礼拝が困難ということも珍しくない。それが〝その教会の問題〟なのではなくキリスト教会全体の宣教の課題であることは明らかだ。

 竹野は今も都市地の教会の15 年先の現実を生きている。数字的改善の見込みなどない。しかし現場が思いのほか明るくあっけらかんとしていることに驚くだろう。その根っこにあるのは「さまよう人々」だった教会の歩みに対する神の導きの確信、何よりも共に重荷を担ってくれる仲間がいるということへの信頼だ。

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