伝道報告 伝道推進室より応援した教会・伝道所
主に導かれて
和歌山新生伝道所牧師
松田 光代
和歌山新生伝道所は、1994年4月3日谷口章牧師によって創立、当初のメンバーは、谷口牧師のご家族、妹さんご夫妻のご家族で、日曜日は妹さんの経営されていた美容室で礼拝が守られていました。普段は美容室ですが、日曜日になると、教会に早変わりです。谷口牧師は、友人も多く皆から頼られる存在でした。特に統一協会に悩まされていた人の相談にも真剣に取り組み、多くの時間を割かれていました。その後美容室移転に伴い、美容室跡を改装し会堂としました。
谷口牧師が牧師を志されたのは、ホーリネスの群れの一つである丸の内教会時代です。市役所務めをしながら独学で学ばれ、1983年に准允、奈良教会に伝道師として招聘されました。牧師館が整備されていなかったので、市役所務めをしながら半年間と1年後に市役所を辞めるまで、日曜日に和歌山から奈良に通われました。1987年に按手、1993年3月病気療養のため休職するまで奈良教会で用いられました。
2008年に谷口牧師が亡くなられてから2013年までの5年間は、無牧の時代を過ごし、主にテープ礼拝でしたが、岩髙澄牧師、大塚正行牧師、田中悦子牧師、足立こずえ牧師の協力も得て礼拝が守られてきました。
私は2002年に病気で夫を亡くし、家の近くにある愛隣教会の信徒でした。その頃教会の中がギクシャクしていて、牧師の仕事に関心を持つようになりました。
2003年10月頃、「信徒の友」に学校案内が出ていて、関西学院大学神学部AO入試の案内が目に留まりました。その案内が私には「志あるもの来たれ」という呼びかけに思いました。
牧師に相談し、早速書類を整え試験を受けました。迷いはありませんでした。
2004年関西学院大学神学部に54才で入学し、2008年卒業し准允、大学時代から通っていた仁川教会に伝道師として招聘され、按手を受けてからも2013年3月まで用いていただきました。
仁川教会時代は、自宅のある和歌山と仁川を行き来していましたが、和歌山での牧会を願っていました。
そんな時ちょうど、和歌山新生伝道所から招聘の話がありお受けしました。私が和歌山新生伝道所から招聘されたのは2013年4月です。
2013年10月からは、現住所の美容室2階に会堂を移し、5名で礼拝を守っています。礼拝後は、「信徒の友」を用いて祈祷会、祈りのはがきを書くなど交わりの時としています。この10年間で1人の受洗者が与えられましたが、高齢の方だったため翌年亡くなられました。
横とのつながりでは、5年前からカトリック、聖公会、教団と協力して、一致祈祷会を開催するようになりました。また、婦人之友愛読者の会読者である全国友の会や、矯風会で用いられることもあります。
和歌山新生伝道所は、和歌山駅から車で南に5分、JRきのくに線宮前駅より徒歩15分の国体道路沿いにあります。周辺は、商店と住宅が入り混じった地域です。
これからも、教団から協力を得ている「こころの友」配布を中心に宣教活動を行っていきたいと願っています。