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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【5014号】メッセージ 神からいただいた恵み(1面)

2024年2月24日

神からいただいた恵み
コリントの信徒への手紙二6章1~2節

わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。

むさし小山教会
遠藤 忠

 

重荷を負う中で

 読者各位にはこの時どのような重荷があるのでしょうか。
 わたしたちはこの世の中で主をほめ讃えることが許されていますが、多くのさまざまな重荷を負っています。それぞれの立場で思ってもいなかったようなことが起きたり、どうすることも出来ずにただ心身共に苦しみが通り過ぎるのを待つようなこと、また、心が厚い雲に覆われたままで何かに押さえつけられているようであることなど、言葉に言い表すことも出来ず、それを他者に伝えることも出来ないように思えることがあるかもしれません。
 使徒パウロは、現在のわたしたちとは異なるあり方ではあるかもしれませんが、パウロを捉え、パウロと共に歩んだお方がおられることを語りました。そしてこのお方はキリストであり今も生きておられます。もちろん、救い主が共におられるのだから災いがなくなり恐れや不安がなくなるということはありません。
 しかし、わたしたちはその渦中にあって何ものかを見出すのです。わたしたちに近づき、そのときにふさわしいあり方で、わたしたちを見つめてくださっておられるお方を見出すのです。

 

主の慰めによって

 キリストの眼差しは常に変わることがありません。キリスト・イエスにより召され使徒となったパウロ。彼はもともとキリスト者を迫害する者でしたが、キリストの眼差しは彼にも向けられていました。キリスト者を迫害する道の途上のパウロに、十字架の死より復活された主は呼びかけられましたが、パウロは自身を呼ぶ御声が「主」であることが分かりました。その御声は復活の主イエスであり、主はご自分の教会の兄弟姉妹たちがこの世で苦しんでいることをご存知であったのです。
 その後、月日を経てパウロは復活の主により変えられ、キリストを人々に宣べ伝える者となります。彼は救われたのです。そして、そのために自分にできることがあると主によって示されたのです。それは、福音を告げ知らせることでした。人々がこの世にあって救われ、心に光を取り戻し、表層ではなく深層で元気を取り戻すことでありました。しかし、福音を宣べ伝え始めると、多くの困難と危険、そして災いがパウロを襲うこととなりました。しかしパウロは、パウロであることを止めませんでした。しっかりとつかみ続けてくださっておられるお方と共にあったのです。
 やがてパウロは紀元一世紀、ローマの属州であったアカイア州の首都コリントに教会を立ち上げることになりますが、その教会においても種々のいろいろな困難があり、パウロは遠く離れた地から言葉を送ります。
 コリントの信徒への手紙二1章4節にはこうあります。「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」。
 パウロは、神がお送りくださった救い主をすべて信頼し歩んでいました。しかし、それでも精神的、肉体的な苦難というものに数多く出遭うこととなるパウロはついに悟るのです。神は、あらゆる苦難をご存知であられるということであり、それは今この時この場を神はご存知だということです。
 主は沈黙のうちに静かに寄り添い、あらゆる苦難に際し慰めをお与えくださっておられます。その救いの力は十字架の死と復活の力です。主イエス・キリストの十字架と復活はわたしたちの魂の慰めであり、罪からの解放です。だからこそパウロはこの主の慰めによってあらゆる苦難の中にある人々を思い出し、慰めを共有することが出来る可能性を語ります。主の御名によって集まるところ、主を中心とするところに、キリストの共同体が生まれます。
 それでパウロは、自分を頼りにするのではなく、死者を復活させてくださる神を頼りにし、神に希望をかけるようになったのでありました。それはもはや、自分は自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることでありました。

 

今や、恵みの時、今こそ、救いの日

 コリントの信徒への手紙二6章1節でパウロは「わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」と述べます。
 種々のあらゆる苦難に際してパウロは、神と共に働く者であるので勧めますと言うのです。「神の恵みを無駄にしてはいけません」と。
 そして2節で「なぜなら、『恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた』と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日」と預言者イザヤの告知した主の御言葉が今なったとパウロは語ります。主は受容してくださり、すべてをご存知で応じていてくださり、すでに「あなたを助けた」とおっしゃるのです。
 パウロは神によって呼び出された者として、今、恵みの時であり救いの日であるので、暴風が吹いても静かであり、大波の中にあっても憩うのです。常にしっかり自分の歩みを続けて行く姿勢に堅く立つ勇気を、神の力によってパウロは持ったのです。
 神の愛がパウロに注がれわたしたちにも注がれています。神の愛は、神の栄光となって現わされます。パウロは、さまざまな試練にあっても、神の栄光が現されることにより、生き、また生かされたのでした。神が共に働いておられるので、すべての人に与えられている神の恵みの前に自分で心を狭くしてしまうことのないようにパウロは勧めます。
 今、困難と苦難の中にあっても、その恵みに場所を狭くすることがないように。帆を広げ風を集めて進む舟のように、神の恵みと憐れみを受けて進み行く道が守られ、力が与えられ、たえず導かれ、育まれますよう、恵みを祈り願います。

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