新型コロナウイルス感染拡大の渦中で
コロナ3年目のイースター
大塚平安教会《綾瀬市》
試練を通して強められる絆
2020年のイースターは4月12日でした。しかし、その五日前に、新型コロナウイルス感染拡大により神奈川県は緊急事態宣言下となり、12日の礼拝は中止とし、ビデオ礼拝にてイースターを祝いました。
2021年のイースターは4月4日でした。この時の感染状況は若干の落ち着きが見られ、短縮した礼拝を捧げることが出来ました。しかし、聖餐式は執り行えませんでした。コロナ感染拡大により、多くの教会と同様、大塚平安教会もこの2年間、緊張と忍耐が強いられる期間となりました。「教会に集まってください」、「礼拝においでください」と言えない状況がくるとは考えてもいませんでした。現在も尚、その状況は続いています。
けれども、2022年のイースター礼拝は役員会にて、コロナ感染の社会状況を踏まえつつも聖餐式を執行する、礼拝後は隣接する幼稚園園庭にて、おにぎりと豚汁で昼食を一緒にいただく、こととしました。そのために婦人会に相談して豚汁の準備をお願いしました。婦人会の方々は嬉しそうにしておられました。やはり教会は人と人が集まるところで元気が出ると実感しました。
4月17日イースター当日の礼拝は、6〜7名の新来会者も来られ、思っていた以上の方々が集まってくださいました。2階の礼拝堂は制限ギリギリまで入っていただき、入れなかった方は1階集会室にてモニターでの礼拝です。準備していたパンは無くなり、聖餐のカップはギリギリでした。嬉しさとこれまでの悔しさとが入り混じって、ちょっとだけ泣けてきました。祝会は天候が不安定で幼稚園ホールにて行いました。2年以上待ち続けていた愛餐会の再開でした。
神様は私たちに試練を与えられます。でもその試練を通して更に強い絆をも与えてくださると信じてこれからも歩んでいきたいと願っています。(菊池丈博報)
周陽教会 《周南市》
「共に過ごす」喜びに満ち溢れて
2020年4月。新型コロナウイルス感染拡大を受けて日本国内において緊急事態宣言が出され、翌週はイースターだったのですが、周陽教会は礼拝を閉じようという決断をしました。どの教会においてもそうだったと思いますが、このようなことは全く初めての経験です。教会員皆に「礼拝を閉じる」という連絡をした時、私は涙しました。イースター主日、定刻になっても人の集まらない礼拝堂に立っていると一人の信徒が訪れたのです。牧師を心配し、気遣ってくれたのでしょう。二人で聖書を読み、祈りました。感謝でした。翌週も礼拝は閉じることになりましたが、その日から主日ごとに一人、また一人と近隣に住む信徒が礼拝の始まる時間に集まり、一緒に祈り賛美し、会堂や庭の手入れをしてくれるようになったのです。その間、私は同じく礼拝を閉じざるを得なくなった教会に仕える同労が配信する礼拝に与りました。
2カ月礼拝を閉じ、再開するまで信徒に自宅で礼拝を守ってもらえるようにこれまで通りに週報を作り、説教を書き、毎週郵送し、近隣には有志と共に届けました。礼拝再開に向けて、司式者と説教者が使う講壇に飛沫防止ボードを設置し、毎週、人が触れる場所にアルコール消毒をして備えながら今に至ります。当たり前だと思っていた営みが失われて改めて思いました。牧師として私が神とイエスの次に大切なものは、教会に連なる皆が健康で幸せであることだと。毎週、教会で皆に会えること、施設や病院、ご自宅におられる方を気軽に訪ねて行けること。何と有難い日常であったか、と思います。
2022年のイースターを迎えました。変わらずマスク着用で、大好きな食事会も行いません。それでも今も、私たちは「共に過ごす」喜びに満ち溢れています。失った時間、出来ないことを数えて落胆しません。どのような状況にあっても喜びは主から与えられる、困難の中にも喜びを見出せることに感謝でいっぱいの私たちなのです。(足立麻子報)
狛江教会 《狛江市》
「折が良くても悪くても」
「イエスは生きておられる!」主イエスのご復活を祝うイースターの主日礼拝(4月17日)にて洗礼式が執り行われた。神の家に一人の家族が加えられ、「大きな喜びが天にある」(ルカによる福音書15章7節)ことを想起しつつ、それが映し出される喜びの中で聖餐を祝うこともゆるされた。教会は復活の主の新たな救いの御業を目撃する光栄に生き続けるのだ。
もう2年余りになる感染対策の苦悩の中でこそ教会に新来者や求道者が与えられてきた。世界の暗闇が深くなるほど世の人々は真実なものを求め始める。今回の受洗者は家族の介護のために東京と東北を行き来しており、受洗準備会を対面とオンラインの併用で行ってきた。27年間の牧会生活において初めての経験であった。
現在、毎日曜日に3回の主日礼拝を捧げている。今年のイースターに午前9時から第一礼拝とCS幼小科礼拝の合同礼拝を捧げることができた。約2年半ぶりに礼拝堂でこどもたちと共に礼拝を捧げることができた。出席人数が多くなった分、残念ながら讃美歌を声に出さず心の中で歌う制限を設けねばならなかったが、主の御前にこどもたちと共に座することは大きな恵みであった。教会は全世代が集う神の家であることを思わせられる幸いなひと時であった。
この2年間に隠退教師1名と教会員10名を主のみもとに送った。草創期のメンバーが数名いる。墓前礼拝は感染対策で中止になったが、信仰の先達の祈りと奉仕を継承する決意を新たにさせられている。
年間聖句「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(テモテへの手紙二4章2節)のもと、新年度の伝道を開始した。「折が良くても悪くても」との言葉の重みを改めて思う。主の御業は人間の思いをはるかに超える。だからこそ、主の御業に仕える歩みには大きな驚きと喜びがあるのだ。(岩田昌路報)
志木教会 《志木市》
コロナ禍のイースターの恵み
ウクライナでの戦闘、なかなか終息しないコロナ感染等、悲しい出来事の多い昨今なので、死に打ち勝ち、贖いの御業を成就して復活された主を、いっそう仰がせていただいています。
イースターで、できなくて寂しく思っていることは、イースターエッグ作りです。以前は有志たちが沢山の卵をゆで、キリスト教書店で売っている綺麗な飾りを付けて、礼拝出席者に配っていました。
一方教会学校では知恵を絞ってコロナ禍でも卵探しのイベントをイースターの日に続けています。100円ショップでプラスチックの卵型のケースを買い、その中に卵型のチョコレートを入れ、それを園庭に隠し、低学年からはじめて中高生まで卵探しを楽しむのです。先日の4月17日には36名の子どもたちがイベントに惹かれて集まりました。コロナ禍であるので、積極的にチラシを用意して案内した訳ではなかったのですが、口コミで以前来ていた子どもたちが勢揃いしたのでした。
人が沢山集まるとコロナ感染が心配になります。1年前頃までは神経質な程至る所を消毒したり、集会を制限したりしていましたが、最近は慣れてきたこともあり、二酸化炭素測定器を設置して換気をしっかり行うことに集中しています。
コロナ禍で一番残念なことは、会食ができないことです。このことで信徒相互間の交わりや絆が弱くなってしまわないか心配しています。
教会の交わりの中心的営みである聖餐式もしばらく行えませんでしたが、1年半前頃から個包装のぶどう液とウエハースで、イースター、ペンテコステ、クリスマスに聖餐式を実施し始めました。教会に諸事情で来られない信徒に以前から訪問聖餐式を行っていましたが、この個包装の誕生で、より手軽に聖餐式を信徒宅で行うことができるようになり、主にある交わりを深められていることはとても感謝です。(横山基生報)