網走開拓伝道の使命
神様は日本にすばらしいことを期待 森下 貴史(教団教師)
2001年4月、東京聖書学校を卒業し、伝道師として初めて赴任したのは、日本基督教団北九州復興教会でした。21世紀初めに晴れて伝道師としてのスタートをきり、この教会の出張伝道所である曽根集会所の担任教師として遣わされました。そこでの働きは、私にとって、聖書の見方、福音の見方を180度方向転換させる貴重な時間であったと感謝いたしております。
その3年間で、被差別部落出身の方や在日韓国人との出会いがあり、今でも、人権侵害を受け、義務は負うが権利は認められない世界が、豊かなこの日本にあることを身をもって教えられました。この経験が、イエス・キリストとの出会いであり、神が人になられたイエス・キリストの福音の隠された大きな柱ではないかと示されました。
私は、ホーリネスの流れの教会で育ち、純福音派と呼ばれる中で、「福音とは何か」ということを教えられました。その中ですばらしい敬虔な聖い信仰というものを見てきました。
理論的にはすばらしく、先人達の生き様を見るときに栄光の主を褒め称えました。現実の教会に教師として足を踏み入れたとき、実践においてイエス・キリストが目指された神の国とは何なのかを考えさせられ、その中で開拓伝道への思いが強くなってきました。
2003年9月、妻とお祈りしているときに、北海道の東側の部分が頭に浮かび、地図で調べると網走が目に留まりました。詩編61編2節の御言葉も与えられました。
神よ、わたしの叫びを聞き わたしの祈りに耳を傾けて ください
11月17日(月)、九州教区にて按手礼を受け、網走市での開拓伝道の思いが強くなり、2004年1月、北海道網走市に視察に行きました。その間、北海道の歴史が書いてある本を数冊読み、明治維新後、北海道がキリスト教とともに始まったことを知りました。
その年の3月、北海教区事務所を訪問し、網走市で開拓することを伝えました。その時、北海道開拓の歴史の資料をいただき、多くの犠牲が払われ、今日の北海道の教会が建っていることを知りました。
それから7年の月日が経ちました。初めは、アパートからのスタートでしたが、一軒家の借家を経て、2008年7月、会堂も与えられました。9名の受洗者があり、7名が転入会し、4名が他教会へ転会、現在は、平均10名ほどの礼拝を守っています。
また、この間に、北海教区部落差別問題委員、網走刑務所での篤志面接官、網走刑務所非常勤医師、網走刑務所医務課管理者代理の働きを任され、神に感謝しております。篤志面接官の仕事として6年間、月2回釈前講話をしており、これから仮釈放で社会復帰しようとする人々に話をしています。真剣に話を聴いているその眼ざしは、希望の輝きを感じられます。また、副業として営んでいる学習塾で20名ほどの生徒を教えています。
神様はこの日本にすばらしいことを期待されていると思います。日本基督教団の伝道所として開拓伝道がスムーズに始められますよう、皆様の応援とお祈りを心から願い求めます。