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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4709号】宣教師からの声 番外編

2010年10月23日

ブゼル先生の働き

東 義也(尚絅学院大学教授)

But I am among you as one who serves.」( Luke 22:27

アンネー・ブゼル(Anny Syrena Buzzell,1866-1936)は、父オリバーの次女として、マサチューセッツ州ローエル市に生まれた。その後、一家は1877年、ネブラスカ州のジュニアタに定住した。両親は、ユグノー派(フランスのカルヴァン派の新教徒)の家系の出身であった。父は農業に従事するとともに、伝道にも参加し、のちにジュニアタのバプテスト教会牧師となった。このように敬虔な信仰と熱心な開拓伝道の精神に燃える家庭で、アンネーは育てられた。姉のミネー・ブゼルも、1884年秋、中国の汕頭(すわとう)に宣教師として派遣され、3年間宣教活動に従事した。

アンネーは、このような両親や姉の影響を強く受け、海外伝道を志すようになった。そして、ギッボン・バプテスト神学校を卒業し、6年間小学校で教えた後、18924月、米国婦人バプテスト外国伝道協会の宣教師に任命された。26歳の時である。1892年という年は、日本では明治25年である。

この頃、東北地方の仙台では、米国バプテスト外国伝道協会から派遣された独身女性宣教師たちが、英語教師として活動していた。当時は外国人そのものがとても珍しかった。だから、彼女たちは自分たちの任務を十分遂行するために、女性や子どもに直接働きかける日本人女性の協力が絶対に必要であると痛感した。そこで、彼女たちはバイブル・ウーマンの養成に取り組んだ。それはやがて家塾の形をとった。すなわち、自宅に少女たちを同居させ、教育と生活訓練を行ったのである。そして、その家塾は、1892年(明治25年)8月、尚絅女学会という学校に発展した。創立者は、米国人ラヴィニア・ミード(Lavinia Mead,1859-1941)である。アンネーは、189211月に仙台に到着し、ミードの良き協力者として尚絅女学会の運営にあたった。発足時の生徒数はわずかに9名であったと記録されている。

ところで、「尚絅」という校名は、中国の古典『中庸』(ちゅうよう)の一節「衣錦尚絅」(いきんしょうけい)からとったものである。これは、「たとえ内側に立派な錦織の着物を着ていても、その上に粗末な打ち掛けを重ねて着る」という「君子の道」を意味している。これを聞いたブゼルは、ペトロの手紙一 33?4節を示して、「この意味をもって学校の精神とすべきである」と熱心に主張した。以来、これが尚絅の建学の精神(尚絅の女子教育の理念)を現わす聖句となって、今日に至っている。1899年、尚絅は正式に設立認可を受け、尚絅女学校と改称された。ブゼルが初代校長となった。

ブゼルは校長としての校務を果たしながら、多くの授業を担当した。特に聖書の授業には、たいへんな心血を注いで行った。また、キリスト教教理史も教えた。その他にも、英語、音楽、育児法、編物の講義まで担当した。ブゼルは128時間の授業を行なっていたようである。また、彼女は学校の外でも忙しく働いた。市内の青年婦人会への指導、教会と自宅での讃美歌指導、10以上の日曜学校の監督、セツルメントと自営館という貧しい人々が自営自活できるために作られた施設の管理・運営などである。彼女は、夏期休暇に一度も避暑に行かず、校内にとどまって訪問伝道をしたり、傷病兵や病人を慰問した。文字通り、献身と奉仕の生活をブゼルは実践した。

そして、もう一つ特記したいのは、男子高校生たちを招いて行われたバイブルクラスである。1893年から1919年までの27年間、ブゼルは(旧制)第二高等学校の男子学生を対象にしたバイブルクラスを指導した。最初は11の聖書研究から始まり、次第にメンバーが増え多くの受洗者を生み出した。そして、このバイブルクラスから牧師、大学教授、国会議員など日本の近代化に影響を与えた数多くの逸材が輩出された。中でも吉野作造は、政治学者で東京大学教授となり、大正デモクラシー運動の代名詞となった人物である。

彼は、1916年(大正5年)に論文を発表して、日本は天皇主権だけれども、政治は国民のためにあると言った。そして、普通選挙制を説いた。彼の主張は、多くの人に支持され、1925年、日本で初めて普通選挙法が可決、公布された。作造を始めとする彼らの思想の根底に、ブゼルの教えがあったことは明らかである。

現在、尚絅女学校は2003年より男女共学の尚絅学院大学となり、ブゼルの遺志を継いで今もなお発展を続けている。

Kyodan Newsletterより-

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