後宮俊夫牧師は去年の暮96歳の人生の幕を閉じ、天に帰られた。不思議な人だった。容姿はお世辞にもいいとは言えず、説教は何を言っているのか分からない話を長々とする。学歴はなく学閥もない。ユーモアがあるわけでもないし、要領よく立ち回る器用さも持ち合わせていない。
なのに彼の周りには人が集まり、教会員は皆よく働く。次々と大きな仕事をこなしていかれた。
ご自分のことをこう言った。「わたしは何一つ自分から願ってやったことはない。行けと言うから行き、来い、と言うからついて来ただけ」。
彼はまた、大事な判断の基準を「わが思いではなく御心を」に定め、「迷ったときは『いやだなあ』と思う方を選ぶと間違いない」と言っていた。だからどんな圧力にも動じない人だった。大きな方向性は「御心を問う」ことに徹していた。失敗を責めないで大目に見てくれる優しい人。だから誰からも信頼された。
それでも時々、雷が落ちることがある。そのときは誰もが震え上がる。元海軍将校の本性が出た。
教会の働きの傍ら、世光福祉会、京都教区総会議長、教団総会議長、学校法人敬和学園理事長、養護老人ホームピスガ甲西、デイケア「おしどり」設立など働きは多岐にわたった。最後まで世界の平和と正義を祈り、実践された方であった。神が用いられた不思議な指導者であった。