砂塚さんの父上は、97歳で洗礼を受け、地上の人生最後の7年間をキリスト者として娘と共に過ごした。父上が書き溜めたノートを見せてもらった。毎日書き写した聖書の言葉や説教、祈りの言葉が何冊にも亘って記されていた。
その父が召されたのは、砂塚さんが教区の婦人部委員長として最後の務めであった教区報告会を終えた次の日だった。
父が召された翌年のイースターには、秀子さんの中学生の孫が受洗を決心し、4歳の弟も幼児洗礼を受け、そして、長年祈ってきた夫も孫たちと共に受洗した。すべてが神の御計画であると知った出来事だったと言う。
秀子さんがはじめてキリスト教と出会ったのは、高校生まで育った長野・生坂においてだった。生家で一緒に暮らすことになった小学校の先生であった親戚のお姉さんが、近くの寺を借りて教会学校を始めた。松本から訪ねてくる宣教師と一緒にお姉さんが熱心に祈っているのを襖の陰から見ていた。4歳の時、はじめてのクリスマス礼拝で挨拶した言葉を今も覚えている。
高校を卒業してから東京で和文タイピストとして働いた。同僚に誘われ教会に通ったが、そのときには洗礼には至らなかった。22歳、結婚を機に洗礼を受けるのは今しかないと、ためらっていた受洗を申し出た。新栄教会で本田清一牧師より受洗した。
結婚後は住まいの近く東京・稲城教会に通った。4人の子育てと重なる教会生活、細川静牧師から教会員として良い訓練を受けた。身に付けていた和文タイプの技術は、やがてワープロによる週報や月報、教会のあらゆる印刷・発行物に生かされた。
「隠退教師を支える運動」推進員を引き受け2年。100円献金で隠退教師の方々を支えることに力を尽くす。
1944年、長野県生まれ。「隠退教師を支える運動」推進員、碑文谷教会員。