【4693号】献身のとき No.13

ここにおられるキリスト 筧 牧人 (伊予長浜教会牧師)

2004年に神学校を卒業し、愛媛県にある伊予長浜教会に伝道師として赴任した。伊予長浜教会に来て、愕然とした。人もお金も、そして伝道の可能性も何もない教会だと感じたからである。礼拝出席は10名にも満たず、財政的にも困難を極め、明日運営できなくなってもおかしくない状況であった。また、受洗者も長く生まれず、町自体も急激な過疎化で疲弊していた。私は何とかしなければならないと思い、我武者羅に頑張った。何よりも私自身が不安だった。真っ暗闇の中で、何か希望の光を手にとって見たいと思い、頑張った。しかし、その頑張りは空回りとなり、良い結果を生み出すどころか軋轢を生んだ。そして破綻がやってきた。私は二年目の夏に病になった。何も手につかなくなる病であった。そこで自分が「空っぽ」になってしまったと感じた。医者に診てもらうと共に、伊予長浜教会の代務者であった牧師に相談をした。その牧師は静かに話を聴いてくれた後、言った。「『汝ら静まりて我の神たるを知れ』だよ。全てをやめて、あなたの救いのために神の御言に聴きなさい。わかったように読むのではなく、求道者のように聖書を読みなさい」。私は聖書を貪るように読んだ。

聖書を読み進める中で、「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。」という言が私を捕らえた。それまで私は「心の貧しい者」とは自分とは違う、誰か別の人間だと思っていた。しかし「空っぽ」とされた今、この「貧しい者」こそ、一片の誇りも持ち合わせていない自分であることを知らされた。けれどもその私に、生ける神であるキリストが、御自分の贖いによって「天の国」を約束してくださっているのである。成し遂げてくださるのは私ではなくこの生ける神である。

私は不信仰の中で喘いでいた。この生ける神を私は全く信頼していなかったのである。それに気づいて、初めて周りを見回すことが出来るようになった。そうすると今まで考えていたことが全部間違っていたことがわかった。私は、伊予長浜教会が何もない教会だと思っていた。しかし違った。礼拝に必ず出席する10名弱の信仰者がいるのである。彼らの生活を冷静に思い出してみるならば、様々な事情を抱え、決して礼拝に毎週来ているのが当たり前ではない。けれども、毎週必ずいる。そこには人間の論理では説明できない神の奇跡があることを知った。神がその御力をもって招いてくださっている。それ以外には説明できないのである。神がこの者たちを愛しておられるからこそ、ここに教会が立ち、彼らが招かれている。

また、教会財政も不思議としかいえない仕方で満たされていた。それは10年先まで安心できるような満たされ方はしないが、マナが降る如く一日一日満たされるのである。それを私は「まぐれ」だと思っていた。しかし冷静に見るならば、それは神の奇跡であった。

伊予長浜教会は何もない教会どころか、キリストの生きて働いておられる「キリストの身体」であった。私はそれまで教会のために自分が「仕えてやっているのだ」と思っていた。しかしそうではなく、私のような「貧しい者」が生けるキリストの御力の下におらせていただいているのであることを知った。生けるキリストの存在を知って、私は不信仰をやめた。自分ではどうしようもないことを思い煩うのもやめた。全てを主であるこの方におまかせし、召されている福音の務めに専念することにした。伊予長浜教会は今もここにあり、奇跡は起こり続けている。

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