【4688号】献身のとき No.10

 

執り成しの祈りと献身

白正煥(ぺく じょん ふぁん) (用賀教会牧師)

 

牧師になって間もなくのことであった。夏休みを利用して韓国に一時帰省していたとき、姉からこういう話を聞いた。

1970年代前半、私が幼児期を過ごしていた故郷はまだ電気が入っていない山村であった。父は、末娘がまだ生まれて間もない時、病で亡くなり、母一人で農業をしながら5人の子どもたちを育てていた。その家に一人の女性の親戚が泊まりに来た。彼女はキリスト者であった。翌朝、姉が目を覚ましたら、その親戚は一つの部屋で雑魚寝していた子どもたちを見ながら涙声で執り成しの祈りを祈っていたそうだ。この家族に日用の糧を与えてください、またこの子どもたちの中から主の僕が生まれますように、と。

姉は牧師になった私の姿を見て、長年忘れていたあの時の情景がふっと浮かんで来たのであろう。

私が自らの言葉で献身の祈りを献げたのは高校2年生の冬休みの時であった。高校生会のリーダーをしていた私は、指導先生の助言もあって、同学年の仲間たちとほぼ毎週、土曜日の夜に教会で祈祷会を持っていた。そんなある日の祈祷会、その時もいつもと変わらず、それぞれの祈祷主題を出し合い、それを皆で祈った後、個々人の自由な祈りの時に入った。教育館の片隅の方に移動し、友だちには聞こえないように小さな声で祈っていた。その祈りの中で私は自分の口から出る言葉にびっくりし、祈祷を中断した。自分の口から献身の言葉を祈りとして献げていたからである。それまで教会生活には熱心だったけど、献身して伝道者となることは一度も考えたことがなかった。そんな自分が何でこういう祈りをしているのか。全く不思議であり、驚きであった。しかし、その日以来、「献身」という思いは片時も心から離れることはなかった。

白さんは日本が宣教地ですよ。そのために祈っていますから」という言葉を聞くようになったのは、日本に来て2年ほど経った時からであった。当時通っていた韓国人たちが集まる教会で、そう言われた。何人かの人からしばしば。でも私の心の中では「日本」という国において伝道者となる思いは一切なかった。

そもそも日本に来るきっかけになったのは、私の父母が日本で出会って結婚し、韓国に渡ったこと、在日韓国人であった母の実家が日本であり、幼い時から日本にいる叔父たちとの交流を通して、「日本」に対する漠然とした憧憬があったからである。しかし、いざ日本での生活を始めた私は2年が経つ頃には日本に対する愛着を殆ど失っていた。

そんな私にとっては日本で伝道者となるとは考えもしなかったことであった。当然、周囲の人々が「日本が宣教地ですよ」という言葉も心に響いて来なかった。この「日本」という国と、「日本人」という国民を愛する心がなかったからである。そんな私がいつからか分からないが、周囲の人々の煩さもあって、神様の御心が「日本」であるならば、愛する心を与えてください、それがなければできませんと祈るようになっていた。そして韓国ではノンクリスチャンであった家族の反対でできなかった神学校への入学が日本で叶えられた。

韓国のキリスト者はよく祈ると言われている。言われている通りである。しかし、その祈りは大半が執り成しの祈りである。自分のことも祈るが、執り成しの祈りが圧倒的に多い。私の場合、自分の口で献身の祈りを献げる十数年も前に、愛する親族を思い、心から祈ってくれた一人のキリスト者がいた。日本で伝道者として歩むようになった背後にも執り成しの祈りがあることは言うまでもない。

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