【4675号】宣教師からの声

教えを共に学ぶ共同体

教えを共に生きる共同体

ゾンターク・ミラ

EMSからの教団への派遣宣教師)

 日本におけるプロテスタント宣教(伝道)150周年記念行事が計画・実行される中、「宣教」は新たな注目を受けています。宣教師たちに対する感謝の言葉もよく聞かれます。しかし、西洋の帝国主義を背負った宣教の問題性や、またエキュメニカル運動によってかなり変わってきた「宣教・宣教師」観が、果たして十分に理解されているかは疑問が残ります。

 社会主義の東ドイツで育てられた私は、日本の教会の機関紙に「宣教師からの声」を書くようになるとは夢にも思いませんでした。それは、神の御導きに対する不信ではなく、「宣教」に対する疑問が強かったからです。

 「すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」という有名な「大宣教命令」に従う者は、宣教の受身となる相手に、苦しく悲しい場合にも、楽しく嬉しい場合にも、その現実に対して一つのすでに決まった答えしか出せないように思いました。しかも、このように押付けられる信仰は、上下関係における服従に見えました。

 私が198990年ごろから経験し、私をイエス・キリストの「弟子」に変えた神の力は、このようなものとは全く違います。それは、私を個人として見、また人々の共同体や国までを不健全な支配構造から解放し、あらゆる行き詰まりに当たって、その状況とその人に最も適当な解決方法を見出してくれます。しかもその実行において私の努力を前提とします。

 上に述べたように、「宣教師」を疑問視したにも拘らず、私は4年前に派遣宣教師となりました。私を派遣している南西ドイツにおける福音主義教会宣教局(EMS)は、宣教師たちを「エキュメニカル・コーワーカー」と呼んでいます。彼らは、現地の人々と、その関心と心配を分かち合いながら、神の力を共に証言すべきだとします。

 人を改宗させるなどの一方的な試みが一切否定され、「宣教師」は皆と同様に「神の宣教」(missio dei)に授かる者であって、「エキュメニカル・ラーニング」に努めながら信仰を深めるべきです。このような方針はユダヤ教の宣教理解に近いと言えましょう。ユダヤ教では、「弟子にする」ことは、「教えを共に学ぶ共同体に人を受け入れる」意味を持っています。

 一留学生として来日した私は、後楽園にある富坂キリスト教センターに派遣されて以来、日本人の関心と心配に、目と耳を澄ませ、行き詰まったところで神の力に頼る解決方法を一緒に考えようとしてきました。

富坂キリスト教センターの社会問題に取り組む研究会、定期的な牧師研修会と学生寮の事業などであります。それと並んで、国境を越える聖書研究会(「他者の目を通して聖書を読む」プロジェクト)、神学分野での国際交流(「東アジアの女性たちと対話する神学」会議)などの企画にも尽くしました。
私が発意した「日本の国公立学校における宗教教育」研究会は、今年3月をもって、その研究活動を終え、成果を、秋に「宗教を考える教育」の名で出版します。
世界中の経済危機に伴う不景気によって提起された諸問題は、4月から新規発足した「負債のない人間存在」研究会で取り上げます。この経済危機の中で宗教が果たすべき役割は何かを考えたいのです。「負債のない(罪のない)人間存在」というキリスト教の理想によって、個人、共同体・国と世界との全レベルにおいて悪化しつつある「負債問題」に一つの解決方法を提示できればと願っています。
このように、使徒から受け継いだと思われる「大宣教命令」を、上記の新しい「宣教」理解に基づいて、果たしたいと思います。

 

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