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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4880・81号】イースターメッセージ 復活の主は不安と恐れのただ中に 山本 一

2018年4月21日

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」《ヨハネによる福音書 20章19~21節》

命のための行進ーヘッドライトの働きを担った高校生

 イースター・主の復活をお祝いいたします。

 ここアメリカで3月24日に歴史的な「命のための行進」が行われました。それは過日、フロリダ州で起こった銃乱射による高校生殺害の事件に端を発した銃規制を呼びかけるものでした。

 アメリカでは年間3万5000人が銃によって命を落としていると言われます。その内、子ども及び10代の若者は2500人余りで、これは一日に7人の若い命が銃で命を落としている計算になります(Everytown for Gun Safety Support Fund による統計)。ここでは子どもたちが、日本でいう地震の避難訓練のように、ロックダウン訓練と呼ばれる銃をもった人物の侵入に対応する訓練を幼稚園のときからさせられています。

 このような現実にも依然として銃規制の動きに進展が見られない社会に対して、事件のあったフロリダ州の高校の生徒を始め多くの人々が立ち上がり、憤りと嘆願の声を上げたのです。私自身、サンノゼの行進に加わるうちに、あのマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の言葉を思い出しました。

 公民権運動の指導者であったキング牧師は、1968年にバーミンガム刑務所の中から一通の手紙を書きました。それは人種差別の問題に口をつぐむ人々、とりわけ教会の穏健派の牧師たちに宛てて書かれたものでした。彼は「今の時代、悪意のある人々の嫌な言動だけでなく、善良な人々の恐ろしいほどの沈黙のために悔い改めなければなりません」と述べ「なぜ教会はヘッドライトよりもむしろいつもテールライトなのですか?」と疑問を呈したのです。

 アメリカ社会の闇の象徴とも言える銃の問題、長年解決できないでいる大きな課題に対して、悲しみと憤りを胸に立ち上がった高校生たちの小さな群れは、全米に広がる大きな平和を生み出すムーブメントを引き起こしたのです。彼らはこのアメリカ社会において、まさに闇を照らし、暗い道を切り開くヘッドライトの役割を担っていると感じました。  アメリカには銃だけでなく、麻薬、膨大な軍事力と軍事予算、高額医療費、貧富の差の拡大と社会が生み出すいくつもの大きな闇があります。ここに住むまで、そのようなイメージのためにアメリカに対する印象は良くありませんでした。

 しかし教団の宣教師として遣わされて4年半が経った今感じるのは、そのような社会の闇がある一方で、このフロリダの高校生たちのように、その闇に対して光を射すようなヘッドライトとしての働きが確かにあり、そこに教会が素早く、また力強く働きかけているということです。そのような働きが、この国を確かに支えているのだと感じるのです。

 

復活の主の励ましを受けて

 福音書には復活の主イエスとの出会いの話は実に様々記されていますが、ヨハネはユダヤ人を恐れて扉に鍵をかけて家の中に閉じこもっていた弟子たちの姿を描き、その家の真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」と声をかけ、励まし、この世へと遣わされた復活の主イエスの姿を描きます。それは当時の社会システムの中にあって、恐れと不安の只中にある小さな群れ(教会)を励まし、立ち上がらせる復活の主がおられるという信仰の証しなのです。

 あの2016年末の大統領選挙の日、教会の近隣に住むメキシコからの移民の方々がとても心配になりました。彼らの多くは貧しさ、治安の悪さゆえ命をかけて亡命してきた人たちです。恐れていた通り、選挙の直後、私たちの知人である一人が、ショッピングモールの駐車場で数名の人物に囲まれて「新しい大統領が就任した、お前たちは国に帰れ!」と脅された出来事が起こりました。

 その晩、その家族を含め20名ほどが近隣の教会に集まり、その不安を吐露しました。その時、私たちは手を握り、涙を流して「神は生きておられる、誰にも不当に人権を侵害させない」と共に祈りました。そして、そこから移民たちの連帯と平和を求める働きが新たに生み出されていったのです。

 私はそこに、復活の主の力を見るのです。復活の主と出会い、その命に生かされていくことは、恐れや不安を抱き小さくなっている者が立ち上がり、世の闇を切り開くヘッドライトの働きをする者へと変えられて行くことだと感じるのです。

 

この世の闇へ

 先日は「異国の地で神と出会う」をテーマに、ここサンフランシスコ・ベイエリアの教会の日本人の群れ「日語部」の集会を開きました。そこで日本から渡米してきた日本人がいかに苦しみや葛藤を抱えているかをあらためて知らされました。

 シリコンバレーの激しい競争の中にあって孤独に働く会社員、物価が全米一高いこの土地で子育てに苦しむ若い夫婦、日本人留学生は精神的に病み、自殺する者もある。アメリカで長年忍耐してきた高齢者は晩年、日本食も満足に食べられず、家族のいない高齢者の中には低所得者の入る小さな相部屋の施設で生涯を終えていく人もある。皆少なからず、異文化の中、マイノリティとして暮らすことの困難さを感じています。

 その中で新しく教会に繋がった方々がこの小さな群れ「日語部」と出会い、主の愛と希望を知ることができたと証ししてくれました。

 私たちアメリカで日本語を話す教会の群れは、決して大きな群れではありません。また社会のシステムの中にあって弱り、無力さを覚えています。しかし、この小さな群れが今日まで存続してこられたのは、復活のイエスが私たちの只中に来てくださり、私たちを同じ過酷な現実に苦しむ人たちのもとへと遣わしてくださっているからだと信じるのです。

 復活の主は、この世の様々な不安や恐れを抱える小さな私たちを力づけ、この世の闇を照らすヘッドライトとしての働きへと押し出してくださる。そのことを信じ、このイースター、復活の主イエスの励ましを受け共に世の闇へと力強く出て行きたいと願います。
(教団派遣宣教師/ウェスレー合同メソジスト教会)

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