神学研究と教会が必要
・神学の目的と教会
かつてマックス・ウェーバーは学問が「価値中立的」であり、「制度から自由」であることが必要であると言った(『職業としての学問』)。学問一般がこの性格規定にかなうかどうかについては、すでに長い議論がなされている。
ここでは議論を「神学」に絞って、大学でなされる神学研究と教会が必要とする神学との関係について、前回(四五七四号)に引き続きドイツ・バーデン領邦教会(ハイデルベルク)の例を取材した。
「学問の自由が第一であることは論を待ちません」とはヴェルカー教授(組織神学)。
「たとえばバルトも、『教会に仕える神学』ではなくて『教会を通じて世界に仕える神学』を謳いました。神学の目的は教会への奉仕には留まらないのです」。ただし、神学が教会において果たす役割が大きいことも強調する。「『牧師の神学嫌い』という傾向があって両者の関係に緊張をもたらしているならそれは問題です。
ハイデルベルク大学では昨年から、牧師の勉強会作りを促進するため、神学部としても協力することになりました。
昨年は『復活』、今年は『罪』をそれぞれテーマとして、二日間の研修を大学で行い、その後四~五人ごとに牧師による研究グループをつくり、ときおり神学教授が手助けする形で与えられたテーマを深めてもらうのです」。
・神学と牧師の学び
それにたいして、ハイデルベルク地区の地区長でもあるバウアー牧師(聖霊教会牧師)は、教会指導(教会政治)に当たるのは、教会の牧師であるという点を強調しつつ、次のように語る。
「教会本部からの大学への諮問も頻繁に行われています。教会は神学をおろそかにしてはなりません。諮問を受け入れ、活用する能力が牧師にあるのが大前提です。しかし、現実にはそのような教育環境が十分整っていないのではないかと思います。
私は第二試験(按手礼を受けるための試験)の委員ですが、受験者である牧師補に『文献の引き写しではだめだ』と言い続けています。暗記は得意でもきちんとそれを説明出来ない受験者がかなりいるのです」。
教授であるためにまず牧師でなければならないという主張を裏付ける例として、同牧師の博士号取得テーマであるバルトを引き合いに出してこう語る。
「彼は説教者としての行き詰まりから『神の言葉の神学』にたどり着きました。現在の神学教授ではメラー教授などのように牧会経験を持つ教授は圧倒的に少数です」。
しかし、「神学部での学び」と「牧師になるための学び」の関係理解は一様ではないようである。さらに何人かの牧師に取材を重ねる中で得た実感としては、両者の断絶を強調する牧師と連続を協調する牧師に分かれたことを紹介しておく。
また一九九九年にローマ・カトリック教会との間でなされた「信仰義認に関する共同宣言」のように教会主導でなされた動きに対して、神学部での評価が低いことを嘆く声も聞かれた。
そこで、再び神学教授に対してインタビューを試みた。シュヴィア教授(学部長)はこう語る。
「『神学を営む』という行為を、フォン・ラートは『知性を持って神を愛すること』と表現しました。『知性』と『愛』を切り離さないところに神学の真理性があるのではないでしょうか。神を愛するということは、実際、知性無しには不可能です。フォン・ラートはさらに、『私たちは教父と同じことを同じように言い続けることは出来ない』と言って、同じことを現代において言い続けるためには神学が要請されるのだと述べるのです。私は『神を愛しながら思考し、思考しながら愛する』と言いたいと思います」。
「だから、ここで学んで牧師を志す学生のうち、領邦教会と関わりを持たない自由教会の学生は確かに『神学を学ぶこと』と『牧師としての学び』は別のものになるかも知れませんが、バーデン領邦教会に奉職する学生にとってはその二つは連続したものです。たとえば私は新約学の教授としては「いかに釈義するか」を研究し、実践神学の教授としては「いかに説教するか」を研究しているのですが、この二つのつながりを常に意識しています。かなりの困難を伴うことも確かですが」。
「実践神学の教授の場合には牧師としての経験が必須になりますが、他の分野の場合でも牧師であることによって学校の宗教教育の経験が得られるなどのメリットもあります。事実上多数が按手を受領しています。
またハイデルベルクでは、実践神学の教授は領邦教会主催の牧師養成セミナー(牧師補が年に一度1ヶ月受講する)の講師にもなるため、他の分野とは違い招聘人事を行うときには教会に通知するだけではなく、合意が必要です」。
・分野横断的・学問横断的に
さてここで、少し角度を変えて、学際的な神学研究がどの程度なされているかについて聞いてみた。
「神学部の中における分野横断的な研究はハイデルベルク大学では盛んになされています。こういった研究に従事している教授として相当数を数え上げることが出来るのがハイデルベルクのよい伝統です。ドイツの神学は、四半世紀前には一つの領域にこだわっていた時期もありますが、そういった時期でも、たとえばブルトマンがハイデガーと関連づけながら神学を展開していました。その伝統はさらにバルト(『福音主義神学入門』)やシュライアーマッハー(『神学諸科解題』)などにさかのぼれると言えるでしょう。将来的に、さらにこれら学問横断的になされた神学が教会指導と摩擦や軋轢無く、さらに展開するとよいと思っています」。
それが可能になる秘訣はなんだろうかという質問を最後にしてみた。
その答えについて、他の学問にも通じることだろうがと前置きしつつ、「好奇心を持つ」ことだ、と教授は語った。
この答えを聞きつつ、神学教授ばかりでなく牧師が自分の好奇心を神学や牧会に対していかに向けるかが普遍的な課題になるだろうという感想を持った。
(上田 彰)
●ミヒャエル・ヴェルカー教授
モルトマン教授の下でバルトを学ぶ。アメリカ、中国、韓国で広く知られ、改革派の伝統に立ちつつ福音主義教会の神学を構築する神学者で学際的な関心も高い。
ホームページの紹介によれば論文数は250に達する。現在、教会の牧師試験委員。
●シュテファン・バウアー牧師
メラー教授の下で説教学を学び、牧師としては11年目。
●ヘルムート・シュヴィア教授
博士論文は新約聖書学、教授資格論文は実践神学で提出し、大学では両方を講じる。大学教会(ペトロ教会)にも携わっている。
●クリスティアン・メラー教授
説教学と牧会学を講じる。最近の関心は教会建設と礼拝学。邦訳あり。
●ゲルト・タイセン教授
ドイツで最も著名な新約学者の一人。学際的な関心(教育方法)を扱った『聖書への関心付け』といった本も執筆。邦訳書多数。