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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4586号】その町の平安があってこそ 8・15平和祈祷会

2005年9月3日

8・15平和祈祷会は例年通り、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で朝七時から行われた。例年をはるかに上回る二五〇人の参加者の中には、敗戦後六〇年という節目なので初めて参加した、憲法改定が論じられる時代になり一緒に祈りたいと思ったなど、思いを語る人もいた。蝉しぐれに包まれ、立っているだけでもじっとり汗ばむような暑さの中で祈祷会が始められた。
礼拝は日本キリスト教協議会が敗戦後六〇年を覚えて作成した礼拝式文を基に進められ、経済力という偶像礼拝に陥り、侵略の責任を担うことを怠った罪を悔い、罪から立ち返る者となしたまえと導きを祈った。
説教は在日大韓教会西新井教会の韓聖炫牧師が「その町の平安があってこそ」と題して語った。バビロンに捕囚として連れて行かれた人々に対し、エレミヤが、その町で家を建て果樹を植え落ち着いて暮すようにと命じられたことを引いて、韓牧師は、自身の在日としての歴史から、次のように語られた。
「過酷な植民地政策により、日本に渡らざるを得なかった朝鮮人は四五年には二一〇万人に達していた。その当時の在日一世が亡くなる一方、日本で生まれ育つ人が増えている。在日は日本で普通の市民生活を営むことを願っている。しかし、さまざまな民族差別、国籍条項による排除などの壁に悩まされている。在日は、住んでいるこの日本が平和な国になることを願っている。日本が民族的少数者を受け入れ、豊かな多文化・多民族社会になることが、在日の平和に直結し、ひいてはアジア全体の平和に繋がると信じている。
預言者エレミヤは捕囚の民に対し、七〇年という、人の一生を越える時間が経ったときに、バビロンから解放され、故郷エルサレムに帰るという希望を告げ、それゆえにこそ、バビロンの地で腰を落ちつけて生活するようにと命じた。我々に希望を与えるのは神であり、自分の願望ではない。それゆえ、自分だけの幸福、自分だけの繁栄はあり得ない。『一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ』というコリント人への手紙の言葉の通りである。いま、この国の平和の行方が非常に心配である。アジア太平洋戦争の悲惨さを忘れようとしている。まだ過去の行いに対する責任が十分に果たされていないのに、責任から逃れようとし、天皇中心の国家至上主義的な『靖国信仰』を復活させようとしている。このような社会で、神の計画と希望を、み言葉を通して謙虚に聞き、神の平和のご計画がこの地になしとげられることを共に祈り求めたい」。
このあと、参加者は五つのグループに分かれて、祈りをささげた。み心が地になるように、神の正義と平和が行われるように、非戦を謳う憲法が改定されないように、子どもたちに平和な社会を残せるように、一刻も早く過去の戦争被害者に対し謝罪をできるようになど、それぞれの輪で、心からの願が神にささげられたあと、主の祈りを祈って終わった。
(鈴木伶子報)

教団新報
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