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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4627号】宣教師からの声

2007年5月26日

海外宣教局の使命の終焉を見る
正木 義道
(カナダ、ノックス合同教会宣教師)

WCCの留学生の身分で渡米したのは一九六六年夏であった。一九六八年カナダに移動して研究中、カナダ合同教会(UCC)の国内伝道局(ホーム・ミッション)からマニトバ日系人合同教会牧師の職を推薦された。UCC の牧師資格を獲得する事を奨め、また教団に「海外宣教協力教師として承認する」手続きをしてくれた。一九七三年、教団との正式な関係が復活した。「日系合同教会協議会」も受け入れてくれた。以来、日本基督教団の海外宣教協力牧師として宣教に携わって今日に至った。

尤も、就任後、教会財政の半分が国内伝道局の補助に依存している事と知り、経済独立の為に宣教を広げ、独立を獲得する。然し、一世の他界が続いて会計が苦しくなり、教会の外に仕事を求める方向で、牧師の職務を果たした。妻の影の奉仕なくして、同じ教会での三〇年の働きは不可能であった。

「カナダ合同教会」の規則により六五歳で退職せざるを得なくなる。役員会は後任牧師が見つけられず「マニトバ日系人合同教会を母屋のKnox United Churchに合同し、宗教法人として発展的解消をする案」を臨時総会に提出した。教会会員の過半数が英語を母国語とする二世である現実に基づく決断であった。日系人合同教会の生命の歴史的危機に際して、教会役員会並びにUCCが日本基督教団に相談した記録は存在しない。一九四二年に国内宣教局の指導によって創立・維持されて、六〇年に渡る日系人社会の精神的指導の役目を負って来たマニトバ日系人合同教会は終焉を見るに至った。教会解散決断の知らせは五代目の牧師としての私には、退職後とは言え厳しい痛みであった。

ノックス合同教会は、マニトバ州の首都ウイニペッグ市の中心に位置し、移住者に対して歴史的にも重要な役割を果たした教会である。一九四二年に日系人強制移動執行後、一九四四年に日系人の市内への移動が許可されると日系人の教会の創立と会堂使用を許した。
今回、日本語教会解散の知らせに、教会会員の移転を受け入れると共に、長い伝統を維持すべく正木牧師を退職副牧師として招き「日本語による牧会」の継続を依頼する。正木牧師は、月一度の日本語礼拝と牧会配慮を承諾する。日本語を必要とする教会会員は一〇二歳を頭に殆ど八〇歳以上で、礼拝には約二五名が出席される。会員の葬式、青年の結婚式、幼児洗礼は牧師、日常生活の相談は牧師夫人の責務となる。

戦前はBC州地区に定着していた日系人は、第二次大戦開始で強制移動により全カナダに分散する。教団はカナダ合同教会の国内宣教局との連絡が緊密であった。歴史的にカナダ日系人合同教会の宣教に教団の牧師が常に奉仕を続けた。分散した日系人の為に国内宣教局は教団に宣教師派遣を依頼した。教団の牧師は立派な二世牧師も育てた。「カナダ合同教会協議会」を創立した。一九四二年には、一〇教会が設立された。初代の教団牧師たちはカナダで死去。一九七三年に日系人合同教会に七名の教団牧師たちが居た。今日、三名死去。退職牧師五名がカナダに生存永住している。二〇〇七年、カナダ合同教会の日本語による宣教に従事している牧師は、教団宣教師一名、他教派出の牧師二名となった。

カナダで長期宣教後退職した牧師たちは、教団の恩給・国民年金などの恩恵に浴することが出来なく日本に帰国できない。カナダで死去せざるを得ない。UCCと教団の関係が改善されない限り、カナダに於いては海外宣教局の宣教活動方針も「歴史の終焉」を見たと感じる。
Postmodernismに於ける宣教の神学が要求されるであろう。

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