インスタグラムアイコンツイッターアイコンyoutubeアイコンメールアイコン
日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
calendar

ゼカリア書8・1〜8

2021年9月2日
万軍の主の言葉が臨んだ。「万軍の主はこう言われる。わたしはシオンに激しい熱情を注ぐ。激しい憤りをもって熱情を注ぐ。主はこう言われる。わたしは再びシオンに来て/エルサレムの真ん中に住まう。エルサレムは信頼に値する都と呼ばれ/万軍の主の山は聖なる山と呼ばれる。万軍の主はこう言われる。エルサレムの広場には/再び、老爺、老婆が座すようになる/それぞれ、長寿のゆえに杖を手にして。都の広場はわらべとおとめに溢れ/彼らは広場で笑いさざめく。万軍の主はこう言われる。そのときになって/この民の残りの者が見て驚くことを/わたしも見て驚くであろうかと/万軍の主は言われる。万軍の主はこう言われる。見よ、日が昇る国からも、日の沈む国からも/わたしはわが民を救い出し彼らを連れて来て、エルサレムに住まわせる。こうして、彼らはわたしの民となり/わたしは真実と正義に基づいて/彼らの神となる。
2021年9月1日
そのとき、主の言葉がゼカリヤに臨んだ。「万軍の主はこう言われる。正義と真理に基づいて裁き/互いにいたわり合い、憐れみ深くありやもめ、みなしご/寄留者、貧しい者らを虐げず/互いに災いを心にたくらんではならない。」ところが、彼らは耳を傾けることを拒み、かたくなに背を向け、耳を鈍くして聞こうとせず、心を石のように硬くして、万軍の主がその霊によって、先の預言者たちを通して与えられた律法と言葉を聞こうとしなかった。こうして万軍の主の怒りは激しく燃えた。「わたしが呼びかけても彼らが聞かなかったように、彼らが呼びかけても、わたしは聞かない」と万軍の主は言われる。「わたしは彼らを、彼らの知らなかったあらゆる国に散らした。その後に、地は荒れ果て、行き来する者もなくなった。彼らは喜びの地を荒廃に帰させた。」
2021年8月31日
ダレイオス王の第四年になって、主の言葉がゼカリヤに臨んだ。それは九月、キスレウの月の四日のことであった。ベテルはサル・エツェルとレゲム・メレクおよび彼の従者たちを遣わして、主の恵みを求めさせ、また万軍の主の神殿の祭司たち、および預言者たちに次のような質問をさせた。「わたしは、長年実行してきたように、五月には節制して悲しみのときを持つべきでしょうか。」そのとき、万軍の主の言葉がわたしに臨んだ。「国の民すべてに言いなさい。また祭司たちにも言いなさい。五月にも、七月にも/あなたたちは断食し、嘆き悲しんできた。こうして七十年にもなるが/果たして、真にわたしのために断食してきたか。あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか。エルサレムとその周りの町々に人が住み、平穏であり、ネゲブにもシェフェラにも人が住んでいたころ、主が先の預言者たちによって呼びかけられた言葉を知らないのか。」
2021年8月30日
主の言葉がわたしに臨んだ。「帰還した捕囚の中から、ヘルダイ、トビヤ、エダヤの家族から、贈り物を受け取りなさい。あなたはその日のうちに、ツェファンヤの子ヨシヤの家に入りなさい。彼らはバビロンから帰ったばかりである。銀と金を受け取り、冠をつくり、それをヨツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭に載せて、宣言しなさい。万軍の主はこう言われる。見よ、これが『若枝』という名の人である。その足もとから若枝が萌えいでる。彼は主の神殿を建て直す。彼こそ主の神殿を建て直し/威光をまとい、王座に座して治める。その王座の傍らに祭司がいて/平和の計画が二人の間に生ずる。冠はヘレム、トビヤ、エダヤ、およびツェファンヤの子の好意を記念するものとして、主の神殿に置かれる。遠方からも人々が来て、主の神殿の建築に携わる。」こうして、あなたたちがひたすらあなたたちの神である主の声に聞き従うなら、万軍の主がわたしをあなたたちに遣わされたことを知るようになる。
2021年8月29日
しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
PageTOP
日本基督教団 
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2026
The United Church of Christ in Japan