泣きながら夜を過ごす人にも
詩編30編1節〜13節
七條 真明 (高井戸教会牧師)
嘆きつつ歩む日々の中で
神学生の頃、イスラエルを旅しました。エルサレムのホテルでは、結婚の祝いがあり、ユダヤの人々が輪になって踊る光景を目にしました。部屋の外から見ていると、手招きをされ、祝いの踊りの輪の中に加えられる経験を与えられました。
「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました」。詩編の詩人は、主なる神がこの自分を喜びの中へ入れてくださったことへの感謝を、印象深く語ります。
しかし、「わたしの嘆き」とあるように、詩人の歩みには深い嘆きの時がありました。粗布をまとうように、悲しみの中におり、神の御前に悔い改めずにおれない。そういう時があったのです。
私は、この詩編を読み、喜びの祝いの中に加わるように招かれて踊った、その出来事をも思い起こしながら、今私たちが置かれている状況を覚えずにはおれなくなります。
教会では多くの集会を中止し、感染対策をなしつつ捧げる礼拝にも「どうぞどなたでもいらしてください」と招くことができなくなりました。
礼拝では、マスクを着けます。今やほぼすべての人がマスクをして町を行き交います。マスクで顔を隠すように、心のうちに悲しみ、嘆きを隠して日々を歩む多くの人たちがいることを思います。その悲しみには、死に対する不安、恐れが深く結びついています。
詩編の詩人もまた、重い病でしょうか、死の世界へ下るような危機的状況の中にいました。その危機の中で、主なる神によって引き上げられ、命を得させていただいた。その救いの経験を与えられて、「主よ、あなたをあがめます」と歌うのです。
詩人は、その救いの経験が、個人的なものにとどまるものではないことを知っています。神の民として生きる共同体の中で、共有できる経験だと知っているのです。だからこそ、「主の慈しみに生きる人々よ」と呼びかけ、神を賛美し、感謝して生きるべきことを語り、確信をもって言うのです。「ひととき、お怒りになっても、命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」。
主なる神は、私たちが、滅びではなく、命を得て生きることを御心としてくださる。泣きながら過ごす夜があったとしても、悲しみから喜びへ至る、そのような朝を迎えることを、神は願っていてくださると詩人は語ります。
危機の中で恵みを知る
しかし、今、詩人が確信をもって語ることができるのは、そのことを大きく見誤っていた過去があるからです。「平穏なときには、申しました。『わたしはとこしえに揺らぐことがない』と」。
詩人は、自分が何の問題もなく生きていた時、どんなことがあっても揺らぐことなく生きられる、とさえ思って生きていた。でも、平穏無事に生きられる、そのことも神から来ているものであることを知らなかった。主なる神が、御手をもって支えてくださっていたから、平穏無事に生きていられたのだ。詩人は、そのことを、神の御顔が隠され、恐怖と不安の中に陥った、その経験の中で知ったのです。
危機的な状況に遭遇して、私たちが思い至るのは、当然のごとく日々を生きているのではないということではないでしょうか。主の日ごとに皆で集い、礼拝を捧げる。神を讃美し、感謝する。そのことも当たり前のことではありませんでした。マスクをし、声を潜めるようにして皆で讃美しなければならない日々の中で、そのことを知るのです。神をほめたたえて生きること、感謝し、祈ること、それらは恵みとして与えられていた。マスクをし、沈黙を強いられているような状況の中で、身に染みて分からせていただく機会を与えられているのだと思えてなりません。
詩人もまた、沈黙せざるを得ないような危機の中にいました。しかし、その中で詩人は祈ります。口を開き、大きな声をもってではないかもしれません。でも、心からの叫びとも言える祈りを、主なる神に捧げました。「主よ、わたしはあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。わたしが死んで墓に下ることに何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ、あなたのまことを告げ知らせるでしょうか」。
詩人は、逆境を通り抜けるように、主に引き上げられ、救い出されました。その中で、こう歌うことを許されたのです。「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。わたしの魂があなたをほめ歌い、沈黙することのないようにしてくださいました」。
喜びの朝を望み見て
三度主を否んだペトロの涙を思います。それは、ペトロの罪を、弱さと愚かさを、知り尽くしておられた主イエスの言葉を思い起こして流された涙でした。ペトロが滅び陰府に下ることのないように、ペトロの罪の赦し、救いのためにも十字架に死なれた主イエスが復活なさった喜びの朝へと続いている涙でもありました。「泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」。詩編に歌われていることの真実を、ペトロの姿の中にも見出す思いがするのです。
危機的な状況が続きます。その間は、讃美も感謝も声を潜めるようになさねばならないのかもしれません。しかし、主なる神がこの時を終わらせてくださるでしょう。私たちも心から言うことができるようにしてくださるでしょう。「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。わたしの魂があなたをほめ歌い、沈黙することがないようにしてくださいました」。その時には、皆で喜びのうちに集まり、大きな声で心からの讃美を捧げたい。多くの人を礼拝へ招きたいと思います。
そして、たとえそれまでの間に私たちが地上の人生を終えねばならなかったとしても、死に勝利された主によって死を越える命を与えていただいた者として、詩人と共に歌う者でありたい。「わたしの神、主よ、とこしえにあなたに感謝を捧げます」。
なお続く試練の日々、制約がある中でも、心を込めて神を賛美し、感謝しつつ、礼拝を捧げていきたいと願うのです。
どんなことにも感謝
守中正さん
満州で生まれた守中正さんは、終戦の2年後、16才で日本に引き揚げるまで大連と瀋陽で過ごした。ソ連の侵攻により、北満州にいた開拓団が瀋陽に避難し、衛生状態が悪い中で発疹チフスが流行、大勢の人が命を落とす悲惨な状況だった。
満州医科大学(現中国医科大学)の学長だった父、清さんは、いかに医大を略奪から守り、中国に引き渡すかに苦心した。また、年の離れた姉、庸子さんの夫は、同大学の寄生虫学の教授で、虱が持つリケッチアを用いてワクチンを作ることに邁進、学生たちと虱を集めた。幸い、ワクチンは出来たものの、接種を拒んだ庸子さんは、発疹チフスに感染し召されてしまった。
正さんは、引き揚げ後、大学で農学部に進み、稲の病害について研究する。卒業後は、福山の農業試験場、つくばの熱帯農業研究センター等に務めた他、国際協力機構で、タイやブラジルに派遣され、農業研究協力に携わった。
文化が異なり、立場や利害がある人々と協力していく時、関係が緊張することもあったが、「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい」(コロサイ3・23)との御言葉に励まされ、心を込めて取り組んだという。東南アジアでは、しばしば占領時代の痕跡に接したが、現地の人々が好意的に関わりを持ってくれたことが印象に残っている。
満州で友人に誘われて教会に通い始めた正さんは、大学時代に京都御幸町教会で受洗。その後、赴いた先々でキリスト者との出会いが与えられた。今、新型コロナウイルスにより自粛を余儀なくされているが、自らの歩みを振り返り、「神われらと共にいます」との信仰により、「どんなことにも(あらゆる状況でも)感謝」していると語る。
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