インスタグラムアイコンツイッターアイコンyoutubeアイコンメールアイコン
日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
coronavirus

【4934・35号】海外教会の取り組みにきく-ブラジル・インド
新型コロナウイルス感染拡大の渦中で

2020年9月26日

暗黒の中で「解放する神」を信じて

ブラジル 《ブラジル合同長老教会 ヴァレリオ・シルヴァ合同長老教会》

ブラジルのコロナ感染は拡大し続け、今やアマゾン州で一日の感染拡大率が最も高くなってしまった。先住民族はパンデミック以前から現政府の経済開発政策に乗じた違法な火災や伐採による森林破壊、族長の非道な暗殺に苦しんでいたのだが、更にいのちの危険にさらされている。ウイルスは多様な人間に平等に襲ってくるのではない。実際は感染以前の社会的不平等、差別、周縁化が厳然と感染状況や医療整備に現れる。

こうした社会状況のもとでブラジルのキリスト教会は二分している。一方に、聖書の言葉を熱狂的に説いて民衆を生活苦から救い出すように見え、実際は神の名を使って「商売する」ファンダメンタル教会がある。エキュメニズムを拒絶し、現政府に「牧師」まで送り込んで加担しているこの手の教会は、実際、私たちを困惑させ、多くの難問を突き付けている。

他方、カトリック教会の司教会議と主なプロテスタント教会は連携している。現在は社会的孤立状態のなかで、オンラインによってイエスの福音を正しく説き明かし、分かち合い助け合う共同体の形成を促し、先の見えない暗闇の中で「解放する神」を信じて希望を持ち続けるよう人々を励ましている。

私が現在奉仕している教会はサルバドールの貧困居住区にあり、ブラジル合同長老教会に所属している。1978年に創立された小さなグループだが、個人と社会に対する福音宣教を根幹に据え、社会的弱者に寄り添い、他教会とのエキュメニカルな関係のもとで市民の人権運動にも参加しながら歩んでいる。ちなみに、牧師はみな世俗の職業を持ちながら牧会している。

工業化された大規模農業や鉱山産業による多様な生物群の生存環境の破壊によってパンデミックは引き起こされると専門家は指摘する。飽くなき利潤追求、拝金主義と無関心の社会からどうしても方向転換しなければならない。このコロナ禍は私たちにイエスの福音に真に立ち返る機会を与えてくれている。(小井沼眞樹子報)


貧しい農家の子どもたちにマスクを

インド 《サム・ヒギンボトム農工科学大学マキノスクール》

3月19日深夜、インド首相がテレビで緊急発令演説。「新型コロナウイルス感染を食い止めるためインド全土をロックダウンする」。期限は何時までなのか当初は不明のままでした。「ロックダウンすればどうなるのか」、「とにかく集会、外出が厳しく規制される」色々な憶測が飛び交いました。が、実態は誰もよくわかりませんでした。二日後、予告どおり私が住むプラヤグラージ県でも警察と軍隊が動員されロックダウンが実施されました。

当日、食料確保が必要と思い、慌てて朝市に野菜や果物を買い出しに出かけました。早朝の市場は地べたに並べられた野菜や果物を買いに集まった人たちでいつものように賑わっていました。ところが9時頃、突然、数台のジープが騒々しく現れ、降り立った警官が直ちに商売を中止するようにと捲し立てたのです。露天商はオロオロ。私も直ぐにバイクで家に帰ることにしました。その後、シャッターを下ろされた街中はゴーストタウン、車も人間も消えてしまいました。

感染が拡大する中、5人以上の集会は禁止となっため、日曜礼拝を守ることは許されません。教会では牧師や祭司の説教・讃美歌をSNSを通して行っています。また、礼拝を家庭で守るように呼びかけています。

5月下旬、インドの感染者数は数万人でしたが、6月になって感染者はうなぎ上りとなり、7月下旬には約170万人、8月22日には300万人となり、死者は5万6000人以上、驚くべき感染者増加です。その中で一番苦境に立たされているのは社会で最も弱い立場の人たちです。医療施設で十分な検査や治療(治療より検査が先)も受けられず、しかもコロナ感染の影響で収入が途絶え、食べるにも事欠く人々です。

このような感染拡大の中で、9月下旬には、現在も閉鎖している教育機関・学校の再開が予定されています。貧しい農村の子どもたちがマスクを着用せずに集団生活を行うことは危険です。ですから私たちの事業に関わっている農村女性縫製事業のメンバーが布製マスクをつくり、農村の人々や子どもたちに配布する計画を立てています。100円で一枚のマスク、1万円のご寄付で100名の子どもたちにマスクをプレゼントできます。皆様のご支援とお祈りをお願いします。(三浦照男報/サム・ヒギンボトム農工科学大学マキノスクール学部長)

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。 『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。 稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。 しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。 ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。 ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。 ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、 ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。 人の子が現れる日にも、同じことが起こる。 その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。 ロトの妻のことを思い出しなさい。 自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。 言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。 二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」 そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」

8月3日、オンラインで、第7回教団伝道対策検討委員会を開催した。本委員会は3月に開催予定であったが、新型コロナウイルス感染問題のため未開催となっていた。

前回記録承認後、前回委員会以後の会議等における、教団伝道推進と機構改定に関する議論について報告がなされた。特に新型コロナウイルス感染拡大により、教区総会を開催せず、議案については書面決議とした教区が多くあり、教団機構改定に関してはほとんど協議がなされていないとのことが報告された。

続いて、教団伝道推進基本方針展開検討小委員会と教団機構改定検討小委員会から報告がなされ、その後、三役より今後の検討スケジュールとして、来年に延期された第42回教団総会において教団機構改定案件(教団総会議員・常議員数減員など)を諮り、その翌年に新たな議員数によって第43回教団総会を開催するといった見通しが示された。

続いて、教団伝道推進基本方針の展開について協議し、「日本伝道の推進を祈る日」の呼びかけに関しては、これまでの取り組みの評価と検証をした上で、今後も継続することとした。また、「全国伝道推進献金」に関しては、その配分先の一覧を作成し、それを次回の本委員会において確認し、10月に開催される常議員会での承認を得た上で送金することとした。

また、教団機構改定について協議し、各教区および諸教会・伝道所において理解を深めてもらうために、教団機構改定に関するQ&Aを作成してはどうか、4月に各教区に送付した「教団機構改定に関する検討資料」について、オンラインによる協議の場をもつことや、同資料の説明の動画を作成して配信してはどうかといった意見が出され、教団機構改定検討小委員会において検討することとした。(雲然俊美報)

自由の意味を問い、「いのち」のための試行錯誤を

韓国 《大韓イエス教長老会 セムナン教会》

去る8月14日、ソウル市から重大な行政命令が出されました。市内の全宗教施設に対する集合制限命令です(後に集合禁止命令へ変更)。首都圏にある複数の教会で新型コロナウイルスの集団感染が発生したのでした。

市から出されたのは要請ではなく法に基づく行政命令です。そのため、市内の全教会は2週間にわたり、対面式の諸集会が開けなくなりました。

私が協力牧師として仕えるセムナン教会からも、翌土曜朝には「対面式の日本語礼拝休止」の連絡が来ました。礼拝休止の通達はこれで4回目。

韓国教会では行政主導による諸集会の休止と再開が繰り返されているのです。

教会の防疫対策も行政指針に沿って進められています。社会的距離の確保をはじめ、教会施設内でのマスク着用、入場時の検温、本人確認(QR認証等)、名前・電話番号・入場時間の記入、手の消毒等です。教会での食事の提供もその時々の感染状況に応じて中断と再開が繰り返されています。

主日に5回行われる礼拝は各回とも教会員300人に出席を限定することが続き(2840席の礼拝堂)、他の人々はオンラインの生中継映像を視聴することで礼拝への参与としてきました。聖歌隊の規模も十分の一に縮小され、聖餐式は今年2月以来行われずにいます。

一方、行政からの指針や命令に従わない教会もあります。しかし、概してそのような教会で集団感染が発生するため、キリスト教会全体が社会から厳しい視線にさらされる要因ともなっています。

もっとも、大多数の教会では感染者が現われていません。それは行政による社会管理の仕方と教会の著しい組織化による成果と思われます。その長所と問題点とが今回の新型コロナへの対応を通して顕著となりました。

行政命令の遵守を求められる韓国教会は「自由」の意味を問い、苦悩しつつ、「いのち」を最優先とするための試行錯誤を続けているのです。

こうした困難の中、教会は子供の礼拝と教会学校に力を注いでいることが注目されます。子供のオンライン礼拝と教育用動画は見事です。その準備に費やされる奉仕者たちの労と熱意は、コロナによって冷まされることなどないようです。(8月18日/ナグネ報)


素早い自主規制とネット礼拝によって対応

台湾 《台湾基督長老教会 国際日語教会》

台湾では12月に武漢で新型肺炎発生の報道にすぐ様空港での水際対策が取られ、台湾国内は緊張に満ちました。2003年SARS流行の際、中国との関係でWHOに加盟できない台湾は国際的に孤立し、世界的救援が得られず、大きな被害、痛手を受けたからです。

SARS未経験の私は今回多くを周囲に教えられました。個々人での素早い文字通りの「自主規制」。皆様から「暫く礼拝、集会を休みます、礼拝はネットやテレビで行います」との連絡。台湾ではキリスト教のテレビ局で24時間礼拝や讃美、聖書講座が放映され、私たちの教会も以前から礼拝をネット中継・録画放映しています。

台湾では年に数回、大型台風時には政府発令の「台風休暇」があり、職場も学校も教会も休み(自主礼拝)となるので、日頃から緊急事態対応に慣れているかもしれません。

私たちの教会でも、2月には礼拝前の消毒や検温を始めました。しかし2月の日本の連休には観光客の来

会者も増え、苦渋の決断で互いの安全のため海外渡航者の出席を断り、翌週3月からネット礼拝のみにしました。

私たちの教会は半数が日本統治時代に日本語で教育を受けた90歳前後の台湾の方々ですが、台湾の高齢者は家族や若い外国人労働者と同居の方が多く、傍らでネット操作を助けてくれるため、高齢者も早くから日常的にスマホでライン等を使用、安心してネット礼拝に切り替えられました。

1月末には台湾政府はマスクを全て買い上げ、1枚一律5台湾元(約18円)で一人週に数枚ずつ薬局で買える政策を打ち出し大成功。国民も外国人居留者もマスク購入時に薬局で健保カードを読み取ってもらうので、買い占めなく平等に購入でき、ネット等で個人・高額販売した場合は処罰処分。台湾政府は海外でマスク不足時に何百万枚も寄付しています。

IQ天才が大臣に抜擢され、画期的な政策が日本でも話題ですが、特筆したいことはこの間の行政の姿勢です。内閣、厚生省トップたち自身がITや医療専門家、医師たちであり、1月20日以来半年休みなく毎日テレビやネットで感染状況、防疫活動を丁寧に説明。マイクを握る陳時中部長(大臣)は「感染症との戦いは、医療、感染対策以外に、国民を安心させ、恐怖を取り除くことが必要だ」と。国民はそのニュース視聴が日課となり、その穏やかで真摯なチームの姿に、国民は鼓舞され、政府を応援。

台湾の政治家は国と人民を愛していると、私たちの教会の日本人長老が言われ、頷きました。

国のリーダーたちと人民が信頼し合い、一致して動く様に、私も胸が熱くなっては、教会のあり方も改めて教えられました。

台湾では比較的早く落ち着き、6月からマスク着用、通常礼拝に戻りました。

聖餐式も台湾では2003年SARS以来、使い捨てのプラスチックの聖餐カップが主流でした。コロナ禍で新発売されたのは、コーヒー・フレッシュ状で、葡萄ジュース入り一口カップに蓋がついており、真空パックのホスティア(薄い種無しパン)がセットになっているもので、それが流行しています。

新型コロナ感染症は、世界中が同じ課題に人道的立場で取り組んでいくよう神からの大事な警告。早くこの事態が終息し、経済、教育等全ての面で復興しますように。(うすきみどり報)

聖餐式ジュース・パンセット

聖餐式ジュース・パンセット
 ※写真 教団新報より

マスクを着用し距離を取りながらの長老就任式

マスクを着用し距離を取りながらの長老就任式
※写真 教団新報より

戻って来たという思いで

山本妙子さん

「戻って来た」人だった、山本さんは。

3歳から通った伊勢原幼稚園でキリスト教と出会い、小学校卒業まで、伊勢原教会の教会学校に通った。

でも、多くの子どもがそうであるように、中学、高校と進むうちに教会学校からは遠くなってしまった。

それでも、キリスト教への探究心は、学びの方向性をも決め、大学においてはヨーロッパ近世史を専攻し、特にカトリックと都市における社会生活を専門にし、フランスでの留学へと歩み出して行く。そして、帰国後は研究職、教育者として歩み出して行く。

キリスト教への関心、教会への想いは、いつでも心の中で静かに時を待っていたのであろう。

研究、教員としての生活の中で、戻るべき場所についての思いが心の中で大きくなって行った。

教会に戻らなければ、と思った彼女が礼拝に出席した日は、ちょうど「子どもの日(花の日)」の全体礼拝の日で、子どもたちと一緒の礼拝に集うことができた。戻ってきたのだな、と。ここは、私の居場所なのだな、と。かつての教会学校に通っていた頃を思い出しながら、実感していた。そして、導きと居場所を感じて礼拝に連なる歩みを踏み出していく。

神さまのお計らいはいつでも不思議で、2019年6月16日の「子どもの日(花の日)」の全体礼拝にて、子どもたちの前で、洗礼を受ける恵みにあずかった。

洗礼式の目撃者となる教会学校に通ってきている子どもたちに、かつての自分を重ねて、いつか必ず、このことを思い出して、との思いを深めながら。

PageTOP
日本基督教団 
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan