6月4日から8日の日程で、ベルギー・ブリュッセルに派遣されている川上寧宣教師・真咲宣教師とドイツ・ケルンに派遣されている佐々木良子宣教師を訪ね、宣教報告を受け、共に祈る時を与えられた。実質、問安のために動けたのは諸般の事情で中二日間だけという慌ただしいスケジュールだったが、ベルギーとドイツの二カ国を訪ねることができた。
5日午後はケルンで佐々木宣教師に会い、現在は退院後の健康も支えられ、教会員だけでなく、ケルン在住の日本人とも良い関係を築きつつ、伝道の可能性を探り、家庭集会をはじめ、様々な取り組みを行っている報告を受けた。
川上両宣教師には、5、6日に会い、主日礼拝のために借りている教会や牧師宅を案内してもらい、現地での宣教活動についての報告や今後の抱負等を聞いた。
ケルン、ブリュッセルとも、転勤等のため教会員の出入りが多く、日本語教会の群れも小さく、厳しい状況を抱えている。それでも日本を離れた地だからこそ日本語で信仰生活を守り、御言葉に与りたいと願う人々がいる。宣教師たちの働きを覚え祈ってもらいたい。
(西之園路子報/世界宣教委員長)
小野寺さんの自宅は石巻山城町教会の真向かいにある。幼い頃は牧師館で英語を教わったり、教会の庭でよく遊んでいた。しかしその後、教会とは疎遠になった。「わざとのように知らん顔をしていた」という。中学卒業後、付属高校から東京音楽大学に進み、ピアノを学んだ。卒業後は石巻に戻り、子どもたちにピアノを教えていた。
2011年東日本大震災が起きた。ちょうど数年前に夫の剛さんと共に海の近くでコンビニ店を始めたばかりだった。激しい揺れの直後に大津波警報が発令され、剛さんに促されて、自宅にいた母親の様子を見に一人で自宅へ戻った。その間に津波が襲い、剛さんは津波に巻き込まれて天に召された。由美さん自身も自宅から店に戻る途中に車と共に津波に巻き込まれ、ギリギリのところで脱出した。
そのような中、再び山城町教会との接点が与えられた。教会が全国から届けられた支援物資を、近隣の人々に配布していたのである。それを機に数十年ぶりに教会に足を踏み入れ、その後、教会員でもあった知人の勧めもあり、礼拝に出席するようになった。
震災から約2年後、最愛の母セツさんを天に送り、葬儀は教会で行った。その年のペンテコステに受洗。震災により、愛する家族をたて続けに失った経験の中で、「確かなものにより頼んで生きていくほかない」という確信が与えられた。
受洗後は音楽の賜物を用い、礼拝の奏楽者として神さまに仕えている。小野寺さんはキリスト者となった喜びをこう語ってくれた。「夫も母親も失って一人になってしまった。しかし今、自分は一人ではないという心強さがある。主イエスが共にいてくださる。そして、神の家族が与えられている」。今は、この喜びに生きている。
2013年のペンテコステに受洗。奏楽者として奉仕をしている。石巻山城町教会員。
各教区の総会が終わり、7月常議員会が終わって、教団の歩みが「祈ろう、伝えよう、献げよう」の伝道基本方針の具体的展開と機構改定の素案づくり、実現に向かって大きく前進を始めました。事務局、出版局の仕事もこの働きに心あわせて忙しくなります。
そんな中で、先日より総幹事室に一枚の絵が加わることになりました。宮崎県の飫肥教会の最年長(105歳)の教会員・西北羽つ衣さんの描かれた曼殊沙華の絵です。「信徒の友」の今年2月号「ここに教会がある」欄の「飫肥教会−小さな教会の元気な働き」のために取材に行った出版局職員が帰りに絵をいただいて送られてきたものです。絵に合う額装をして総幹事室を彩る仲間に加えたのです。西北さんは「75歳で絵を描き始め、日展、二科展にも入選歴のあるプロの画家だ」と「信徒の友」にも紹介されていますが、「高齢ゆえに教会に行けるのは年に数回だが、教会が大好き」と言っておられる方とのこと。
贈られた絵は黄色の曼殊沙華数本が画面いっぱいに花を広げてそれぞれ満開の花が上からの光に向かって、笑うように、歌うように、踊るように描かれており、こぞって神を賛美しているどこか自然の世界の片隅で喜びの礼拝が行われている姿を思わせます。総幹事室を訪れる日本と世界の人たちを、この絵の心とともにお迎えしたいと思います。(教団総幹事 秋山 徹)
12:1 そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、
12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
12:3 そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。
12:4 ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。
12:5 こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。
12:6 ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。
12:7 すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。
12:8 天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。
12:9 それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。
12:10 第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。
12:11 ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」
12:12 こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。
12:13 門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。
12:14 ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。
12:15 人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。
12:16 しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。
12:17 ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。
12:18 夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。
12:19 ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。
11:19 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。
11:20 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。
11:21 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。
11:22 このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。
11:23 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。
11:24 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。
11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、
11:26 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。
11:27 そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。
11:28 その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。
11:29 そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。
11:30 そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。
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