「あなたがたが選んだのではなく、神様があなたがたをこの学舎に選ばれたのだ」北陸学院短期大学保育科の入学式でこのような言葉を聞いて、学生時代に高岡教会で受洗した。
卒業後は、浜松の教会近くに幼稚園を建てる牧師の働きを短期間、見てきた。その直後、郷里の氷見市に帰ってきて、富山県内のキリスト教保育園に2年ほど勤務。そののち地元、氷見市のアソカ幼稚園への話をもらった。仏教の幼稚園だった。住職はモンテッソーリ教育を目指し、クリスチャンの自分がそこで必要とされ、大きな葛藤と闘いながら37年間勤務した。子どもたちの「今日」と出会ってきた。吉崎さんは語る。「神様が、わたしをここに置いてくださった、そのことの不思議な意味を考えた」。
それからは、教会が支えであった。長老として、教会学校教師として、高岡教会に仕え続ける。ところが、2018年12月と2019年5月、教会に送り出してくれていた夫と介護してきた義父の死を経験する。大きな喪失感と、信仰を持たずに召された夫を思いながら、神様、どうしてですか、と問い続けて5カ月間、礼拝を離れた。祈ることや聖書を読む力もなくなり、たびたび訪問してくれる牧師が頼りであった。
そのような中、再び礼拝に出席したときは、座ったとたん涙が止まらなかった、と言う。ただいま、と礼拝堂に入った。そののち9月最初の祈祷会で、ヨハネによる福音書14章の御言葉を聞き心に激動を感じた。「心を騒がせるな。神を信じなさい」。今まで心揺るがせてきたことに対して、神様への信頼のない自分を痛感した。しかし、イエス様はこんなわたしを導いて天のすみかに場所を用意してくださる。それが何よりうれしかった。今の苦しみ以上に、主が伴っていてくださるとの喜びが倍増した。
富山県氷見市生まれ。長年幼稚園に勤務した。高岡教会長老、教会学校教師。
6月に開催された新任教師オリエンテーションに参加した。すでに本紙において報告されているように、新任教師がお互いに知り合い、交わり、恵み豊かな三日間を過ごすことができた。また、今回も教師委員会において良い準備がなされ、大変充実した内容であった。
その中でも毎年楽しみにしているプログラムは「牧会講話」である。今年は小林眞教師(岩槻教会)が担当された。小林教師は講演において、50年にならんとする牧師としての豊富な経験の中から伝道者としての召命に応える姿勢として、聖書を正しく深く読むこと、教会形成に資する人間関係を構築すること、教会に仕えることなどを話された。毎回、このオリエンテーションにおいて自分自身の伝道者としての召命の恵みを新たにするが、伝道者の生涯は神の召しに応え続けていく生涯であり、伝道者としての歩みは自分の働きの上に立つのではなく、いつも神からの召しによって立たされているものであること、それは、「『人の正しさ』が壊され、『神の義しさ』が立つ」ことであると教えられた。
伝道者として立たされた時、大先輩が話してくださった言葉は、「我召されたり、故に我あり」であった。一伝道者として、一信仰者として、生涯主の召しに忠実であるために、主の支えと導きとをあらためて祈らされたオリエンテーションであった。
(教団総会書記 雲然俊美)
11:23 わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、
11:24 感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
11:25 また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
11:26 だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
11:27 従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。
11:28 だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。
11:29 主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。
11:30 そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです。
11:31 わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。
11:32 裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。
11:33 わたしの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。
11:34 空腹の人は、家で食事を済ませなさい。裁かれるために集まる、というようなことにならないために。その他のことについては、わたしがそちらに行ったときに決めましょう。
11:2 あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います。
11:3 ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。
11:4 男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります。
11:5 女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。
11:6 女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら、頭に物をかぶるべきです。
11:7 男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です。
11:8 というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、
11:9 男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。
11:10 だから、女は天使たちのために、頭に力の印をかぶるべきです。
11:11 いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。
11:12 それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。
11:13 自分で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのが、ふさわしいかどうか。
11:14‐15 男は長い髪が恥であるのに対し、女は長い髪が誉れとなることを、自然そのものがあなたがたに教えていないでしょうか。長い髪は、かぶり物の代わりに女に与えられているのです。
11:16 この点について異論を唱えたい人がいるとしても、そのような習慣は、わたしたちにも神の教会にもありません。
11:17 次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。
11:18 まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。
11:19 あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。
11:20 それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。
11:21 なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。
11:22 あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか。わたしはあなたがたに何と言ったらよいのだろう。ほめることにしようか。この点については、ほめるわけにはいきません。
10:14 わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい。
10:15 わたしはあなたがたを分別ある者と考えて話します。わたしの言うことを自分で判断しなさい。
10:16 わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。
10:17 パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。
10:18 肉によるイスラエルの人々のことを考えてみなさい。供え物を食べる人は、それが供えてあった祭壇とかかわる者になるのではありませんか。
10:19 わたしは何を言おうとしているのか。偶像に供えられた肉が何か意味を持つということでしょうか。それとも、偶像が何か意味を持つということでしょうか。
10:20 いや、わたしが言おうとしているのは、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なのです。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。
10:21 主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食卓と悪霊の食卓の両方に着くことはできません。
10:22 それとも、主にねたみを起こさせるつもりなのですか。わたしたちは、主より強い者でしょうか。
10:23 「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。
10:24 だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。
10:25 市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。
10:26 「地とそこに満ちているものは、主のもの」だからです。
10:27 あなたがたが、信仰を持っていない人から招待され、それに応じる場合、自分の前に出されるものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。
10:28 しかし、もしだれかがあなたがたに、「これは偶像に供えられた肉です」と言うなら、その人のため、また、良心のために食べてはいけません。
10:29 わたしがこの場合、「良心」と言うのは、自分の良心ではなく、そのように言う他人の良心のことです。どうしてわたしの自由が、他人の良心によって左右されることがありましょう。
10:30 わたしが感謝して食べているのに、そのわたしが感謝しているものについて、なぜ悪口を言われるわけがあるのです。
10:31 だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。
10:32 ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。
10:33 わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから。
11:1わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。
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