菅沼英二氏(無任所教師)
19年3月24日逝去、87歳。愛知県生まれ。57年東京神学大学大学院卒業。同年より甲子園、中野桃園教会を牧会し、酪農学園に務める。遺族は妻・菅沼祥子さん。
青佐春見氏(犬飼教会主任担任教師)
19年4月11日逝去、69歳。福岡県生まれ。04年東京神学大学大学院卒業。同年より犬飼教会を牧会。遺族は妻・青佐都美さん。
指宿文一氏(隠退教師)
19年4月18日逝去、92歳。鹿児島県生まれ。62年関西学院大学大学院卒業。59年より伏見、甲子園、国分教会を牧会し、99年隠退。遺族は妻・指宿明子さん。
小林 宥氏(隠退教師)
19年5月4日逝去、85歳。愛媛県生まれ。60年日本聖書神学校卒業。同年より西千葉、むさし小山教会を牧会し、99年隠退。遺族は妻・小林知子さん。
立石賢治氏(隠退教師)
19年4月21日逝去、100歳。北海道生まれ。82年農村伝道神学校卒業。同年より月寒、西札幌教会を牧会し、01年隠退。遺族は娘・立石貴美子さん。
今年の宣教師会議は3月25〜28日、山梨県清里にある清泉寮を会場にして行われた。今回は初めてのケースとして前半の二泊三日は通常のスタイルで行い42名の出席。後半の一泊二日は韓国から派遣された宣教師と派遣元の担当者を対象に17名の出席であった。
前半のハイライトは参加者を6グループに分け、①中学1、2年生にどのように説教するか?②青年をいかに教会に招くか?③教会で期待される宣教師像、④今教会で話題にすべきこと、⑤教会の宣教のための企画について、⑥日本人に伝道する難しさ、等について協議した。
二日目の午前は広い敷地を持ち、清里の豊かな自然に囲まれている清泉寮の提供するプログラムに参加した。参加者を3つのグループに分け、第一のグループは酪農体験の中のバター作りを経験した。第二のグループはレンジャー(自然案内人)のガイドにより、安全に森の中の散歩を楽しんだ。第三のグループはポール・ラッシュ記念館を見学した。ポール・ラッシュ博士は清泉寮を運営するキープ協会の創設者。日本にアメリカンフットボールを紹介した人物としても良く知られている。ラッシュ博士は広い敷地に井戸を3つ掘り、現在も清泉寮本館、清泉寮自然学校、キャンプ場はそれぞれ3つの井戸水を飲料水として利用している。多くの宣教師がこの施設を気に入り、来年の宣教師会議も清泉寮を使用する予定。
第2部とも言える宣教師会議を持った理由は、教団で働く約60名の宣教師のうち、教団の教会で主任として働いているのは韓国派遣の宣教師以外では2名しかいない。一方韓国派遣の宣教師は9名。教団の教会形成に韓国派遣の宣教師の働きが必要不可欠になりつつある。
今回は現場で働く宣教師の悩みを共有する貴重な機会となった。教団三役と総幹事も参加した。(加藤 誠報)
「光〈ひかる〉という名は、聖書から取られました」と語る笹尾光さん。キリスト者4代目、祖父には、哲学者であり、東北学院、明治学院で教鞭を執り、横浜共立学園の5代目、日本人初の校長を務めた笹尾粂太郎氏がいる。
大学卒業後、1979年、日本テレビ放送網に入社。報道記者を経て、番組制作に携わる。11 PM、24時間テレビ、ズムサタ等、テレビの全盛期を象徴するような番組に関わった。番組の企画を決め、視聴率につながるように配置する「編成」を担った時には、三つの時間帯(全日、プライム、ゴールデン)において視聴率トップを取る三冠王を達成。その後、マーケティング部長、アナウンス部長、ライツ・考査責任者、BS日テレ取締役を経て、2016年に退社した。
母が召された後に、両親が在籍していた横浜指路教会で受洗。本格的に教会生活を始めた。礼拝に通いはじめて、「聖書をみ言葉として聞く」体験を与えられた。幼い頃から目にしていた、両親の愛唱聖句を記した額縁の言葉、「汝の聖言は/わがあしの燈火/わが路のひかりなり」を「まさにこれだ」と受け止めている。
退職後、茨城キリスト教学園の常務理事となった。日テレ時代の上司であり、学園の前理事長から声をかけられた。この4月からは理事長の重責を担っている。
学校という新たな環境に戸惑うこともあったが、「毎朝、礼拝をもって一日が始まる幸せを感謝している」という。学内の会議等で祈り、スクールモットー「Peace Truth LOVE」について語る時には、畏れと共に使命を感じる。「学校が目指す教育を深化させ、み言葉に触れられる学園であり続けたい」と語る。み言葉を光とし、その光を掲げつつ歩んでいる。
1956年生まれ。横浜指路教会員。茨城キリスト教学園理事長。
8:1そのころ、また群衆が大勢いて、何も食べる物がなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。
8:2「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。
8:3空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。中には遠くから来ている者もいる。」
8:4弟子たちは答えた。「こんな人里離れた所で、いったいどこからパンを手に入れて、これだけの人に十分食べさせることができるでしょうか。」
8:5イエスが「パンは幾つあるか」とお尋ねになると、弟子たちは、「七つあります」と言った。
8:6そこで、イエスは地面に座るように群衆に命じ、七つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、人々に配るようにと弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。
8:7また、小さい魚が少しあったので、賛美の祈りを唱えて、それも配るようにと言われた。
8:8人々は食べて満腹したが、残ったパンの屑を集めると、七籠になった。
8:9およそ四千人の人がいた。イエスは彼らを解散させられた。
8:10それからすぐに、弟子たちと共に舟に乗って、ダルマヌタの地方に行かれた。
今年の神学校の卒業式の祝辞で「信徒とは闘わない、信徒は裁かない、信徒には負けても構わない、礼拝で慰められ、礼拝で整えられる、説教に集中すること」と語った。このことを私も肝に銘じているので越谷教会では温厚だ。
しかし、教会で「私は温厚だ」と叫んでも誰も信じてくれないのが悔しい。
教団の仕事で3月末、清里で開催される「宣教師会議」に出席するため高速道路を走っていたら、副牧師から電話が入った。ハンズフリーで車の中で話すことができる。「次週の説教予告を週報でするので、至急聖書の箇所と説教題を知らせて欲しい」とのことだった。
次のドライブインに入り、聖書を出して読んだ。ローマ書の連続説教で、説教題は、その聖書の箇所から決めることにしている。説教題を9章33節の御言葉から「つまずきの石」と決めて副牧師に電話した。
聖書箇所を伝えたのち、私「説教題は『つまずきの石』だよ」。副牧師「えっ、えっ、何?」。私「『つまずきの石』だよ」。副牧師「えっ、えっ、つまずきの橋」。私「橋じゃあないよ、石橋の石だよ」。副牧師「あー、つまずきの石橋か」。私「……」。
私は決心した。「副牧師とは闘わない。副牧師を裁かない。副牧師には負けても構わない」と。「躓きの石橋」にならないために。
(教団総会議長 石橋秀雄)
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