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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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ヘブライ人への手紙9・1~14

2016年6月30日

9:1 さて、最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました。
9:2 すなわち、第一の幕屋が設けられ、その中には燭台、机、そして供え物のパンが置かれていました。この幕屋が聖所と呼ばれるものです。
9:3 また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。
9:4 そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた契約の箱とがあって、この中には、マンナの入っている金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の石板があり、
9:5 また、箱の上では、栄光の姿のケルビムが償いの座を覆っていました。こういうことについては、今はいちいち語ることはできません。
9:6 以上のものがこのように設けられると、祭司たちは礼拝を行うために、いつも第一の幕屋に入ります。
9:7 しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分自身のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えて行きます。
9:8 このことによって聖霊は、第一の幕屋がなお存続しているかぎり、聖所への道はまだ開かれていないことを示しておられます。
9:9 この幕屋とは、今という時の比喩です。すなわち、供え物といけにえが献げられても、礼拝をする者の良心を完全にすることができないのです。
9:10 これらは、ただ食べ物や飲み物や種々の洗い清めに関するもので、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎません。
9:11 けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、
9:12 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。
9:13 なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、
9:14 まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。

2016年6月29日

8:1 今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、
8:2 人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。
8:3 すべて大祭司は、供え物といけにえとを献げるために、任命されています。それで、この方も、何か献げる物を持っておられなければなりません。
8:4 もし、地上におられるのだとすれば、律法に従って供え物を献げる祭司たちが現にいる以上、この方は決して祭司ではありえなかったでしょう。
8:5 この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。
8:6 しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。
8:7 もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。
8:8 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、/新しい契約を結ぶ時が来る』と、/主は言われる。
8:9 『それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、/エジプトの地から導き出した日に、/彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、/わたしも彼らを顧みなかった』と、/主は言われる。
8:10 『それらの日の後、わたしが/イスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、/主は言われる。『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、/彼らの心にそれを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となる。
8:11 彼らはそれぞれ自分の同胞に、/それぞれ自分の兄弟に、/「主を知れ」と言って教える必要はなくなる。小さな者から大きな者に至るまで/彼らはすべて、わたしを知るようになり、
8:12 わたしは、彼らの不義を赦し、/もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。』」
8:13 神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。

2016年6月28日

7:11 ところで、もし、レビの系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば、――というのは、民はその祭司制度に基づいて律法を与えられているのですから――いったいどうして、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。
7:12 祭司制度に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずです。
7:13 このように言われている方は、だれも祭壇の奉仕に携わったことのない他の部族に属しておられます。
7:14 というのは、わたしたちの主がユダ族出身であることは明らかですが、この部族についてはモーセは、祭司に関することを何一つ述べていないからです。
7:15 このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられたことによって、ますます明らかです。
7:16 この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。
7:17 なぜなら、/「あなたこそ永遠に、/メルキゼデクと同じような祭司である」と証しされているからです。
7:18 その結果、一方では、以前の掟が、その弱く無益なために廃止されました。――
7:19 律法が何一つ完全なものにしなかったからです――しかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。わたしたちは、この希望によって神に近づくのです。
7:20 また、これは誓いによらないで行われたのではありません。レビの系統の祭司たちは、誓いによらないで祭司になっているのですが、
7:21 この方は、誓いによって祭司となられたのです。神はこの方に対してこう言われました。「主はこう誓われ、/その御心を変えられることはない。『あなたこそ、永遠に祭司である。』」
7:22 このようにして、イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。
7:23 また、レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました。
7:24 しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。
7:25 それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
7:26 このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。
7:27 この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。
7:28 律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。

2016年6月27日

7:1 このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。
7:2 アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。
7:3 彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。
7:4 この人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムさえ、最上の戦利品の中から十分の一を献げたのです。
7:5 ところで、レビの子らの中で祭司の職を受ける者は、同じアブラハムの子孫であるにもかかわらず、彼らの兄弟である民から十分の一を取るように、律法によって命じられています。
7:6 それなのに、レビ族の血統以外の者が、アブラハムから十分の一を受け取って、約束を受けている者を祝福したのです。
7:7 さて、下の者が上の者から祝福を受けるのは、当然なことです。
7:8 更に、一方では、死ぬはずの人間が十分の一を受けているのですが、他方では、生きている者と証しされている者が、それを受けているのです。
7:9 そこで、言ってみれば、十分の一を受けるはずのレビですら、アブラハムを通して十分の一を納めたことになります。
7:10 なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたとき、レビはまだこの父の腰の中にいたからです。

2016年6月26日

9:36 ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。
9:37 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。
9:38 リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。
9:39 ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。
9:40 ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。
9:41 ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。
9:42 このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。
9:43 ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。

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