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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4822号】▼韓国・台湾・スイス協約合同委員会▲ 三委員会合同で共通の課題を

2015年6月20日

 教規46条の2には世界宣教委員会の働きが規定され、⑷として、その下にある6つの委員会を定めている。

 そのうちの3つは韓国、台湾、スイスの教会や宣教団体との協約のための委員会である。教団はその協約によって、それぞれの教会の教職を宣教師として迎え、教団の教師と同等の働きを委ねている。また、それぞれの教会に対して派遣する宣教師も同様である。これら3つの委員会は相手国の違いはあれ、扱う内容が等しいこともあり、委員会を合同で開催、委員もまた、それぞれを兼任するという提案が前総会期の世界宣教委員会からの申し送りに基づき決議された。

 その第1回の合同委員会が、5月8日に開催された。

 【組織】まず、合同委員会としての委員長(議事進行)を世界宣教委員である村山盛芳(南山)、書記に岸憲秀(千葉本町)を選任した。そのうえで3つの委員会の委員長をそれぞれ韓国=岸、台湾=ディヴァン・スクルマン宣教師(北海教区)、スイス=横山基生(志木)を選出した。

 【台湾関連】千葉台湾教会が現在無牧であることに契機とし、台湾教会の人事をめぐって、招聘制の秩序、台湾教会の特殊性、台湾基督長老教会との関係性を視野にいれて意見交換がなされた。また、台北にある国際日語教会の蔡裕栄長老(うすきみどり教師・夫)が先ごろ召されたことを受け、村山委員を現地に送ることが決定された。

 青年プログラムである「I love Taiwan mission 2015」は公募により2名がエントリーし、選考した結果、2名ともに派遣することとした。

 【韓国関連】教団は現在、韓国の3教会(イエス教長老会統合派、キリスト長老会、キリスト教大韓監理会)と協約を結んでいるが、締結してから今日に至るまで必ずしも深い交わりを成してきていない現実がある。にもかかわらず、現在、その3教会から多くの宣教師が教団において働き、また、2011年には初めて教団から宣教師を派遣、今年新たにもう一人派遣した。そのような経緯により、ぜひ近い将来、韓国3教会と教団との協議会を開けるよう、準備を進めることを決議した。(岸 憲秀報)

稲葉信一氏(中標津伝道所主任担任教師)
 15年2月27日逝去、62歳。静岡県に生まれる。89年農村伝道神学校卒業。同年より大台めぐみ、久居新生、福井神明、中標津伝道所を牧会。
 遺族は息・稲葉義也さん。

松田一路氏(隠退教師)
 15年4月2日逝去、92歳。福岡県に生まれる。45年日本基督教神学専門学校卒業。47年より世真留、羽犬塚、天草平安、日和佐、西伯法勝寺教会を経て、88年に隠退。
 遺族は娘・松田みくにさん。

 神のなさることはいつも「向こう側」からやって来ます。

 勿来教会の「東日本大震災4周年記念」礼拝も、向こう側からやって来ました。2015年3月8日その朝、礼拝の開始を告げるオルガンの音が小さな会堂に流れました。被災地の教会のために、祈りをこめて準備された「奉唱」が捧げられ、そして神の言葉が告げられました。「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22・32)。

 説教者・松本周牧師ご自身、あの原発事故直後20日目にして現地に入り最初に訪れたのが、この勿来教会であったこと告げ、傷ついた会堂の前で祈る言葉さえ失い立ち尽くしたことを証しされました。

 震災以来毎年、いわき市にある日本基督教団の3教会(勿来、常磐、磐城)のために説教奉仕、そして音楽奉仕が続けられて来ました。

 勿来教会は、昨年教会員の手でホームページを立ち上げました。この日、礼拝案内を見たという2人の新来会者がみえました。うち1人は、震災前後から自分の信仰生活がいいかげんになりがちで、こんなことでいいのだろうかと自問していた矢先、イエス様の言葉は、まっすぐに彼女の心に届きました。この日以来、礼拝はもとより、「聖書を読む会」や「賛美と祈りの会」に出席されています。

 いわき市は、今では何事もなかったように復興ムードに沸いています。一方では、原発事故によるいわゆる帰宅困難区域、居住制限区域等から2万4千人を超える人たちが移住してきています。ですからなお、先行きが見えず取り残されている人々がいるのも現実です。富岡町から避難している友人家族は、やっと2017年3月に自宅の除染が終わるというので、そうしたら故郷に戻りたいと申しています。仮設住宅に入れなかった人たちは、それぞれアパートを借りて生活していますが、町民がバラバラになりコミュニケーションがとれず、知らない町で孤立し不安な日々を過ごしています。彼らの苦悩に寄り添うように常磐教会は、コミュニティの場として会堂を提供して感謝されています。

 ところで勿来教会は、2009年に藤田眞佐子牧師が逝去され、大震災と続く混乱の中で留まり続けたのは信徒2名でした。お蔭で勿来教会の灯は消されずにすみました。2012年わたしは希望して赴任させていただきました。しかし、荒れ野の試みの中で、神様より人間的なものに頼っては、何度も行き詰まりを経験しました。しかし、そのような失敗を通して、神様に救いを求めると速やかに「向こう側」から来る信仰を教えてくださいました。

 「お前たちは、立ち帰って静かにしていれば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」(イザヤ30・15)。神のなさることは、いつも良いもので、「向こう側」からやって来ました。そのことを何度も見させていただきました。

 この日も、主の教会から遣わされてきた礼拝奉仕者の方たちは、「わたしたちは、礼拝共同体として参加させていただき大変恵まれました」と言ってそれぞれ帰って行きました。

 イースターを過ぎて、転入会の申し出がありました。神様は、わたしたちの教会にまた2人の姉妹を加えてくださいました。

 5月28日、日本キリスト教会館耐震・改修工事起工式が会館玄関ロビーで行なわれた。関係団体から37名の出席があった。

 式辞において長崎哲夫総幹事は「東日本大震災発生時、会館5階の東京教区事務所にいて建物強度に強い危機感を覚えた。この地震が今回の会館耐震・改修工事を発起するきっかけとなった」と語り、1950年、教団事務所を銀座・教文館一室に移転し、1970年10月に現会館が完成するまでの歴史から、会館設立の精神が日本におけるエキュメニカルセンター建設にあったことを語った。

 「当初25団体が権利を分有してはじまり、現在は10団体と減ったものの、なお各団体がオーナーとして権利を有する。今回の改修工事決定に至るまで、企てゆえ必然として負わなくてはならない試練があった。また今後もあるであろう」と語った。

 イエス・キリストにおける同志の人々が再びここに帰り、日本のエキュメニカルセンターの拠点に結集するよう呼びかけた。

 15年6月から16年2月末までの予定で、工事費2億7500万円の耐震工事に着工した。(新報編集部報)

 藤崎令子さんは北海道函館市出身。若い頃から園芸に興味を持ち、農薬問題など食の安全への関心から、農家に嫁ぎたいという願いを持つようになった。恩師の紹介によって香川県の豊島に嫁いで約40年になる。

 両親はクリスチャンでなかったが、姉二人はカトリック信徒である。中学からミッション系の学校に通ったため、キリスト教の下地はあった。本格的に園芸を学ぶために上京して入学した大学もミッション系だったため、聖書研究にも出る機会があった。

 豊島で農民福音学校を開いた藤崎盛一氏の息子である盛清さんと結婚し、クリスチャンの藤崎一族に囲まれたため、多少反発した時期もあったようだが、自然な流れで1年後のペンテコステに受洗した。

 現在は島キッチンのお手伝いをしている。島キッチンは、2010年から3年に一度行われる瀬戸内国際芸術祭にあわせて作られたレストランである。地元の魚や野菜を使った料理を食すことができる。できるだけ安全な食材を使うという、本来の希望がかなった形だと思われる。芸術祭開催中は、人口900人の島で、一日400人の来客を迎え、もてなしたこともあるそうだ。

 豊島は世帯数も少ないため、どの家がどの宗教か、だいたいわかるという。そのような中、家の跡を継ぐために島に帰ってきた若い世代や、島内にある賀川豊彦に由来する福祉施設に関わる人たちに、どのように御言葉を伝えていくかを考えている。

 香川豊島教会は、故小國清子牧師が53年に亘って牧会された教会で、多い時には20名ほどの出席があったそうだ。現在はその半分ほどの小さな群れだが、島の人々にとって、十字架が遠くで輝いているものではなく、近いものであってほしいという願いをもっている。

北海道函館生まれ。夫・盛清さんと共に。香川豊島教会員。

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