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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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サムエル記上20・24b~42

2015年2月25日

20:24 新月祭が来た。王は食卓に臨み、
20:25 壁に沿ったいつもの自分の席に着いた。ヨナタンはサウル王の向かいにおり、アブネルは王の隣に席を取ったが、ダビデの場所は空席のままであった。
20:26 その日サウルは、そのことに全く触れなかった。ダビデに何事かあって身が汚れているのだろう、きっと清めが済んでいないのだ、と考えたからである。
20:27 だが翌日、新月の二日目にも、ダビデの場所が空席だったので、サウルは息子ヨナタンに言った。「なぜ、エッサイの息子は昨日も今日も食事に来ないのか。」
20:28 ヨナタンはサウルに答えた。「ベツレヘムに帰らせてほしい、という頼みでした。
20:29 彼はわたしに、『町でわたしたちの一族がいけにえをささげるので、兄に呼びつけられています。御厚意で、出て行かせてくだされば、兄に会えます』と言っていました。それでダビデは王の食事にあずかっておりません。」
20:30 サウルはヨナタンに激怒して言った。「心の曲がった不実な女の息子よ。お前がエッサイの子をひいきにして自分を辱め、自分の母親の恥をさらしているのを、このわたしが知らないとでも思っているのか。
20:31 エッサイの子がこの地上に生きている限り、お前もお前の王権も確かではないのだ。すぐに人をやってダビデを捕らえて来させよ。彼は死なねばならない。」
20:32 ヨナタンは、父サウルに言い返した。「なぜ、彼は死なねばならないのですか。何をしたのですか。」
20:33 サウルはヨナタンを討とうとして槍を投げつけた。父がダビデを殺そうと決心していることを知ったヨナタンは、
20:34 怒って食事の席を立った。父がダビデをののしったので、ダビデのために心を痛め、新月の二日目は食事を取らなかった。
20:35 翌朝、取り決めた時刻に、ヨナタンは年若い従者を連れて野に出た。
20:36 「矢を射るから走って行って見つけ出して来い」と言いつけると、従者は駆け出した。ヨナタンは彼を越えるように矢を射た。
20:37 ヨナタンの射た矢の辺りに少年が着くと、ヨナタンは後ろから呼ばわった。「矢はお前のもっと先ではないか。」
20:38 ヨナタンは従者の後ろから、「早くしろ、急げ、立ち止まるな」と声をかけた。従者は矢を拾い上げ、主人のところに戻って来た。
20:39 従者は何も知らなかったが、ダビデとヨナタンはその意味を知っていた。
20:40 ヨナタンは武器を従者に渡すと、「町に持って帰ってくれ」と言った。
20:41 従者が帰って行くと、ダビデは南側から出て来て地にひれ伏し、三度礼をした。彼らは互いに口づけし、共に泣いた。ダビデはいっそう激しく泣いた。
20:42 ヨナタンは言った。「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから。」

2015年2月24日

20:1 ダビデはラマのナヨトから逃げ帰り、ヨナタンの前に来て言った。「わたしが、何をしたというのでしょう。お父上に対してどのような罪や悪を犯したからといって、わたしの命をねらわれるのでしょうか。」
20:2 ヨナタンはダビデに答えた。「決してあなたを殺させはしない。父は、事の大小を問わず、何かするときには必ずわたしの耳に入れてくれる。そのような事を父がわたしに伏せておくはずはない。そのような事はない。」
20:3 それでもダビデは誓って言った。「わたしがあなたの厚意を得ていることをよくご存じのお父上は、『ヨナタンに気づかれてはいけない。苦しませたくない』と考えておられるのです。主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。死とわたしとの間はただの一歩です。」
20:4 ヨナタンはダビデに言った。「あなたの望むことは何でもしよう。」
20:5 ダビデはヨナタンに言った。「明日は新月祭で、王と一緒に食事をしなければならない日です。あなたが逃がしてくだされば、三日目の夕方まで野原に隠れています。
20:6 そのとき、お父上がわたしの不在に気づかれたなら、『ダビデは、自分の町ベツレヘムへ急いで帰ることを許してください、一族全体のために年ごとのいけにえをささげなければなりません、と頼み込んでいました』と答えてください。
20:7 王が、『よろしい』と言われるなら、僕は無事ですが、ひどく立腹されるなら、危害を加える決心をしておられると思ってください。
20:8 あなたは主の御前で僕と契約を結んでくださったのですから、僕に慈しみを示してください。もし、わたしに罪があるなら、あなた御自身わたしを殺してください。お父上のもとに引いて行くには及びません。」
20:9 ヨナタンは言った。「そのような事は決してない。父があなたに危害を加える決心をしていると知ったら、必ずあなたに教えよう。」
20:10 ダビデはヨナタンに言った。「だが、父上が厳しい答えをなさったら、誰がわたしに伝えてくれるのでしょう。」
20:11 「来なさい、野に出よう」とヨナタンは言った。二人は野に出た。
20:12 ヨナタンはダビデに言った。「イスラエルの神、主にかけて誓って言う。明日または、明後日の今ごろ、父に探りを入れ、あなたに好意的なら人をやって必ず知らせよう。
20:13 父が、あなたに危害を加えようと思っているのに、もしわたしがそれを知らせず、あなたを無事に送り出さないなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰してくださるように。主が父と共におられたように、あなたと共におられるように。
20:14 そのときわたしにまだ命があっても、死んでいても、あなたは主に誓ったようにわたしに慈しみを示し、
20:15 また、主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれるときにも、あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい。」
20:16 ヨナタンはダビデの家と契約を結び、こう言った。「主がダビデの敵に報復してくださるように。」
20:17 ヨナタンは、ダビデを自分自身のように愛していたので、更にその愛のゆえに彼に誓わせて、
20:18 こう言った。「明日は新月祭だ。あなたの席が空いていれば、あなたの不在が問いただされる。
20:19 明後日に、あなたは先の事件の日に身を隠した場所に下り、エゼルの石の傍らにいなさい。
20:20 わたしは、その辺りに向けて、的を射るように、矢を三本放とう。
20:21 それから、『矢を見つけて来い』と言って従者をやるが、そのとき従者に、『矢はお前の手前にある、持って来い』と声をかけたら、出て来なさい。主は生きておられる。あなたは無事だ。何事もない。
20:22 だがもし、その従者に、『矢はあなたのもっと先だ』と言ったら、逃げなければならない。主があなたを去らせるのだ。
20:23 わたしとあなたが取り決めたこの事については、主がとこしえにわたしとあなたの間におられる。」
20:24 ダビデは野に身を隠した。

2015年2月23日

19:1 サウルは、息子のヨナタンと家臣の全員に、ダビデを殺すようにと命じた。しかし、サウルの息子ヨナタンはダビデに深い愛情を抱いていたので、
19:2 ダビデにこのことを告げた。「わたしの父サウルはあなたを殺そうとねらっている。朝になったら注意して隠れ場にとどまり、見つからないようにしていなさい。
19:3 あなたのいる野原にわたしは出て行って父の傍らに立ち、あなたについて父に話してみる。様子を見て、あなたに知らせよう。」
19:4 ヨナタンは父サウルにダビデをかばって話した。「王がその僕であるダビデのゆえに、罪を犯したりなさいませんように。彼は父上に対して罪を犯していないばかりか、大変お役に立っているのです。
19:5 彼が自分の命をかけてあのペリシテ人を討ったから、主はイスラエルの全軍に大勝利をお与えになったのです。あなたはそれを見て、喜び祝われたではありませんか。なぜ、罪なき者の血を流し、理由もなくダビデを殺して、罪を犯そうとなさるのですか。」
19:6 サウルはヨナタンの言葉を聞き入れて誓った。「主は生きておられる。彼を殺しはしない。」
19:7 ヨナタンはダビデを呼んで、これをすべて彼に告げた。ヨナタンはサウルのもとにダビデを連れて行き、ダビデはこれまでどおりサウルに仕えることになった。
19:8 戦いは続いて起こったが、ダビデはペリシテ人を討つために出陣し、大打撃を与えたので、彼らはダビデを恐れて逃げた。
19:9 ときに、主からの悪霊がサウルに降った。サウルは館で槍を手にして座り、ダビデはその傍らで竪琴を奏でていた。
19:10 そのとき、サウルがダビデを壁に突き刺そうとねらったが、ダビデはサウルを避け、槍は壁に突き刺さった。ダビデは逃げ、その夜は難を免れた。
19:11 サウルはダビデの家に使者を遣わし、彼を見張らせ、翌朝には殺させようとした。ダビデの妻ミカルはダビデに言った。「今夜中に避難して自分の命を守らなければ、明日は殺されます。」
19:12 ミカルはダビデを窓からつり降ろし、彼は逃げて難を免れた。
19:13 ミカルはテラフィムを寝床に置き、その頭に山羊の毛をかぶせ、それを着物で覆った。
19:14 サウルは使者を遣わしてダビデを捕らえようとしたが、ミカルは、「彼は病気です」と言った。
19:15 サウルはダビデを見舞うのだといって使者を遣わしたが、「ダビデを寝床のままわたしのもとに担ぎ込め。殺すのだ」と命じていた。
19:16 使者が来てみると、寝床には山羊の毛を頭にかぶせたテラフィムが置かれていた。
19:17 サウルはミカルに言った。「このようなことをしてわたしを欺いたのはなぜだ。なぜお前はわたしの敵を逃がし、避難させたのか。」ミカルはサウルに言った。「あの人は、『わたしを逃がせ。さもないとお前を殺す』と脅しました。」
19:18 逃げて難を避けたダビデは、ラマのサムエルのもとに行って、サウルの仕打ちをすべて報告した。サムエルとダビデはナヨトに行き、そこにとどまった。

2015年2月22日

4:1 さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
4:2 四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。
4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
4:4 イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
4:5 更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。
4:6 そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。
4:7 だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
4:8 イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」
4:9 そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。
4:10 というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、/あなたをしっかり守らせる。』
4:11 また、/『あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える。』」
4:12 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。
4:13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。

2015年2月21日

その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。 彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」《ルカによる福音書5章27〜32》

立ち上がったレビ

 収税所に座っていた徴税人のレビは、主イエスから、「わたしに従いなさい」と呼びかけられ、立ち上がって従いました。レビは主の呼びかけに応えて、自分の働きの場から、ここが自分の居場所としていた所から立ち上がったのです。

 そして、レビはさっそく主イエスをお迎えして宴会をもちました。ヨハネの黙示録にこのようにあります。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(3章20節)。レビはたしかに心の戸を開いて主イエスをお迎えしたのです。

 私たちは、日々の生活や働きにおいてしばしば行き詰まりを覚えます。教会の現状もきびしいものです。困難な課題があります。そのような中で奮闘努力をするのですが、なかなか実りを得ることができません。自分の力不足を痛感したり、協力者が得られないことを嘆いたりします。

 さらに、「何をやってもムダ…」、「どうせできない…」といった思いにとらわれ、心も体も縮こまってしまいます。何かをする前から、自分で「できない」と決めつけてしまい、座りこんでしまうのです。

 そのような時、自分の決意や努力、あるいはがんばりで立ち上がる人もいることでしょう。けれども、自分のがんばりには限りがあります。

 私たちを本当に立ち上がらせる力は、私たち自身の中からではなく、外から与えられるものです。自分の外からの呼びかけや働きかけ、あるいは、支えによって私たちは立ち上がるのです。

 

外からの呼びかけ

 以前、全国で共に説教の学びをしている交わりの中で、お子さんが発達障がいをもっておられる牧師の書かれた文章を読みました。

 その牧師は、息子さんの診断がくだされた時、大変悲しく辛い気持ちになり、その日は家族で静かに過ごしたいと思ったけれども、役割があったので、ある講演会に出かけたとのことです。そこで彼は、ドイツから来られた講師のお話しの中で、「救われるということは、健康であること以上のことです」との言葉を耳にしました。そして、このように言っています。「息子の病気は治らない病気。でも健康であること以上にもっと大きな恵みを、イエス様は私たちに与えてくださっているんだ。…イエス様は、私たち家族のことをしっかりと目に留めていてくださり、そして、私たちにおいても、確かに働いていてくださっているのだ、そう思ったんです」。

 この牧師は、まさに外からの声を聞き、それによって立ち上がったのです。

 振り返りますと、私自身、今から38年前、学生運動後のいわゆる「内ゲバ」の時代に、混乱のただ中にあった時(カルト宗教に走ったりもした!)、その泥沼のような状態から抜け出させてもらい、信仰へと導いていただき、立ち上がらせていただいた者です。自分の力で立ち上がったのではなく、出会いを与えられた牧師の言葉をはじめとする、外からの呼びかけによって立ち上がらせていただいたのです。

 

心の中で立ち上がる

 もちろん、そうは言っても、この世のさまざまな力によって押さえつけられ、とても立ち上がることなどできないということもあります。そして、立ち上がろうとする意欲さえ失ってしまうようなこともあるでしょう。

 ある教会でのことです。男の子が母親と一緒に礼拝に来たけれども、その子はとても活発な子で、ちょっとの間もじっとしていられず、すぐにイスの上に立ち上がってしまったというのです。母親に「座りなさい」と注意されて一旦座るのですが、また、立ち上がる。そのようなことを何回か繰り返して、母親はとうとうその子を抱きかかえて、無理やりイスに座らせました。

 そうしたら、その子は意外にもじっと座って、そしてニコニコしながら母親にこう言ったというのです。「ママ、ボク、体は座っているけど、心の中では立っているんだよ!」。

 私たちはどうにも立ち上がることができないことがあります。病気や体の不自由さ、家族の心配ごとや人間関係のもつれ、仕事の大変さや生活の不安など、重荷に押しつぶされそうになることがあります。教会においても、5年先、10年先が本当に心配です。

 そのような時に必要なことは、その男の子のように「心の中で立ち上がる」ことではないでしょうか。今の自分の状態や自分が置かれている状況を受け容れるけれども、そこでうずくまっているのではなく、そのような自分に対して、神さまが与えてくださる務めや役割が知らされることを祈り求めることです。それが、体は思うようにならなくても、自分の心の中では立ち上がるということであると思うのです。

 

罪人を招くため

 主イエスの呼びかけによって、徴税人レビは立ち上がりました。

 しかし、主にお会いし、主のお声を聞きながらも、立ち上がることをしなかった人たちもいました。ここにファリサイ派の人々や律法学者が登場しております。彼らは、徴税人たちと一緒に食事をしている主イエスと弟子たちに、「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」とつぶやきました(30節)。彼らが大事にしていた律法やきまりにおいては、それはそうあってはならないことであったからです。

 けれども本当は、彼らは自分たちの居場所から立ち上がることをしなかったということではなかったでしょうか。自分の立場や居場所に座りこんで、主の呼びかけに聞き従わなかったのではないでしょうか。

 主イエスは、「罪人を招いて悔い改めさせるため」(32節)にこの世に来られた救い主です。私たちもまた、主の呼びかけに聞き従っているか、自らの罪の悔い改めをもって主の招きに応えようとしているかを自らに深く問わなければなりません。

 

主の復活の命に生きる

 レビは立ち上がりました。この「立ち上がる」との言葉は、主イエスのご復活を表わす言葉としても用いられています(ルカ24章7、46節ほか)。レビが立ち上がったということは、それまでの人生から、主の復活の命の中を新しく生きる者とされたということです。

 私たちもまた、主の呼びかけによって立ち上がらせていただきましょう。うずくまったり、座りこんでしまったりすることがあっても立ち上がるのです。何度でも。主の呼びかけに応えて。
(第39総会期教団総会書記・秋田桜教会牧師)

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