「格差社会」が意識され、問題視されて論争にもなって、「分断社会」が問題とされるようになったのは、せいぜいこの20年ほどのことだ。なんとなくだが、「分断」よりも「格差」が先のように思われるのは、身近な社会では、格差が分断を生んでいるように感じるからだろう。とくに同じコミュニティーの中での経済格差の意識は「上下」の感覚となって、とたんに生き辛さを生む。
教会ではどうか。「格差」とくに経済格差が意識されることはそれほど多くないだろう。しかし、「分断」や「断絶」が意識されたり口にされることは少なくない。とくにコロナ禍を経てからはそうだ。その分断の要因は経済格差ではなく、情報格差であり世代間格差だと言われる。それが、ときに生きづらさとなるのは、その格差が「共感格差」を意識させるからだろう。
それで、「なんとかしないと」と言われ、私もそう思っていたのだが、最近は変わってきている。「分断・断絶があるのは問題だ」と言われるが、古代エジプトの時代から「近頃の若い者は…」という愚痴が象形文字で残されているそうだ。問題は世代間の分断ではなく、それぞれ世代の間でどうコミュニケーションが取れるかだ。難しい問題だが、教会というコミュニティーには、その可能性が開けている。
(教団総会副議長 藤盛勇紀)






