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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【5041号】新春メッセージ(1面)

2025年12月27日

神は共におられる
マタイによる福音書1章18〜25節

秋田桜・下浜教会牧師
雲然 俊美

クリスマスの恵みの内に

 教会の暦では、クリスマスの恵みの内に新しい年の歩みを始めております。クリスマスにおいては、コロナ禍を経て、ようやく主にある交わりを再開することができた喜びを覚えた教会もあれば、災害に見舞われ、なお困難の中を歩んでいる教会もあることと思います。
 クリスマスを迎えたからと言って、あるいは、新しい年を迎えたからと言って、それぞれの困難な状況が一気に好転するということはありません。困難な状況はそのままであり、苦しみと悩みは続いています。
 けれども、私たちがクリスマスの恵みのメッセージとして聴くことは、私たちを罪から救う方がお生まれになったことであり、神さまが、苦しみや悩みの中にある私たちと共におられるということです。クリスマスの恵みの内に歩むとは、今も、これからも変わることのないインマヌエル(神は我々と共におられる)のお方と共に歩むということです。

ヨセフの苦しみと悩み

 主イエス・キリストがインマヌエルのお方であられることは、主イエスの父となるヨセフが、深い苦しみと悩みのただ中にある時に証しされました。
 ヨセフは、婚約者のマリアから、「聖霊によって身ごもっている」(18節)ことを知らされ、苦しみ悩みました。信仰あつく、マリアへの愛情も深かったヨセフであったからこそ、その苦しみと悩みは深かったのです。
 ヨセフは、マリアの言葉に嘘は無いことは分かっていたことと思います。けれども、頭では分かっていても、繰り返し心の内に浮かびあがってくる、「いったい何が起こったのか?」、「どうして自分の人生にこのようなことが起きたのか?」との思いを振り払うことができなかったのではないでしょうか。
 そこでヨセフは、「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心」(19節)しました。当時、婚約は結婚と同様の重い意味をもっておりました。婚約期間中に妊娠ということが明らかになるということは大問題です。ましてや、婚約者であるヨセフが、その妊娠についてはあずかり知らぬことであるとのことが明らかになれば、マリアにはきびしい裁きが科せられることになります。
 ヨセフは、信仰者としてマリアを妻に迎えることはできないという思いと、このことが表ざたとなってマリアを苦しめるわけにはいかないとの思いから、自分が人々からの非難を受けることを覚悟し、ひそかに縁を切ろうと決心したのです。ヨセフの信仰とマリアへの愛による決心でした。

「恐れず迎え入れなさい」

 そのような決心をしたヨセフに、主なる神さまのみ言葉が告げられました。「ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい」(20節)と。
 マリアを迎え入れるということは、ヨセフにおいては、今、起こっている出来事をそのまま受け入れるということです。ヨセフは、その現実を受け入れることを恐れていたのです。
 神さまは、ヨセフに、マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのであり、人々を罪から救う者となることを告げました。そして、ここでマタイによる福音書は、このことは預言者によって言われていた、インマヌエルのお方の誕生を意味していることを記しています。
 ヨセフの決心は覆されました。ヨセフは眠りから覚めると、マリアとそのお腹の中の主イエスを受け入れました。この後、ヨセフはマリアの出産を守り、幼子の身に危険が迫っていることを知ると、遠くエジプトまで逃れ、さらに、家族が安心して暮らすことができる地へと移動しました。このヨセフの行動によって主のご降誕のみわざが実現しました。ヨセフは寡黙な信仰の勇者でありました。

現実に向き合う力

 教会に仕える中で、人間関係で悩んでいる、いわゆる「生きづらさ」を抱えている方たちとの出会いが続いています。皆さんそれぞれ自立した生活を目指し、努力をしています。そのような方たちに対しては、早く解決の道を見つけ出すとか、正解を探し求めるようなことはせず、ただその方に向き合い続け、その方自身が、生きづらさを抱えている自分自身と向き合うための時間を共に過ごします。
 そのような中で知らされることは、人間には本来、自己回復力(レジリエンス)というものが備わっているということです。そして、悩みや課題、あるいは、自分の欠点や弱さを抱えたままで、「これが私」、「これが私の人生」と受け入れる力(ネガティブ・ケイパビリティ)を身につけて行くということです。
 ヨセフは、主イエスのお誕生が神さまの救いのみこころによる、神さまのみわざであることを信じ、眠りから覚めてマリアを受け入れました。それは、ヨセフの苦しみと悩みが無くなったということではありませんでした。ヨセフは、幼子イエスの成長を目の当たりにする中で、苦しみ悩みつつ、「父ヨセフ」(マタイ13・55〜56、ルカ4・22)として家族を守り、共に歩んだのです。

神と共に歩む人生

 アドヴェントの前後に、40年以上交わりをもち続け、信仰を導いていただいた方々との別れを経験しました。その中のお一人は、終戦直後、10代半ばで樺太から秋田に移り住み、当時、教会を拠点に行われていた「ララ物資」の配給の手伝いをしたことから教会に連なり、以後、その教会に仕え続けられました。ご家庭においても、教会においても、何度も試練に直面しましたが、皆さんに慕われつつ、信仰の生涯を全うされました。
 その方は、若き日に神さまと出会った喜びを持ち続け、証しをして、信仰の生涯を全うされました。まさに、神さまと共に歩んだ人生でした。
 主イエス・キリストは、苦しみ悩む私たちの歩みのただ中にお生まれになりました。そして、十字架の死によって「自分の民を罪から救う」(22節)救い主のみわざを成し遂げられました。
 私たち罪人を、罪から救い出されるまことの救い主のみ名をほめたたえて、新たな一年の歩みを進めてまいりましょう。

 

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