日独ユースミッション2023
「赦せない私たち」を主題に
8月7〜17日に、ドイツ福音主義教会のヴィットシュトック・ルピン教区より15〜21歳のユース9名、カローラ・リッター教区監督を含むリーダー3名の計12名を日本に迎え、日独ユースミッション2023が開催された。今回は教団主催ではなく、ユースリーダー5名と共に有志実行委員会を構成し、ドイツ側のリーダーたちとズームミーティングを重ねつつ、準備を進めてきた。またホストファミリー等の協力を千葉支区と神奈川教区に依頼。ウェスレー財団、および教団のカナダ合同教会基金からは助成金をいただくことができた(協力・教団世界宣教委員会)。
このユースミッションは2002年よりスタートし、毎年開催ではないものの、交互にユースを送り出し、迎え入れ、20年以上の歴史を重ねてきた。
今回の主題は、「赦せない私たち−君はライバルのユニフォームを着られるか?」。主題聖句はヨナ書4章10〜11節とルカによる福音書11章4節a。8月9〜11日はこの主題に基づき、日本のユースと共に千葉市少年自然の家でリトリートが開催された。
リトリートでは、閉会礼拝に向け、「讃美」、「祈り」、「聖書劇」の三つのグループに分かれて礼拝準備にあたったが、どのグループもユースが礼拝の中で活き活きと奉仕し、主をほめ讃える姿に感銘を覚えた。
また8日の丸木美術館見学(ドイツ側のリクエスト)、12〜13日のホストファミリー、ホスト教会との交流。8月14〜15日の神奈川教区プログラムでは、鎌倉散策、蒔田教会での平和の祈り、海員宣教の紹介。過去のユースミッション参加者たちとのリユニオンの機会も兼ねた歓迎会(西千葉教会)・送別会(銀座教会)。猛暑や風邪、コロナの影響で日独双方に体調を崩す者も出たが、主に守られつつ、すべてのプログラムを終えることができた。感謝。
(西之園路子報)
東北ユース・キャンプ
主の御手が働く現場
東北教区は2015年秋に青少年プログラム小委員会を設置しました。現在は「東北ユース」の愛称で活動を展開しています。対象は中高生から若手牧師まで。キリスト教学校からも参加が多いのが特徴です。教団で最も「ユルい」組織の一つ、を自負しております。
コロナ前は年間で十数回も集会を企画。現在立て直し中ですが、以前からメインは猪苗代教会を拠点とした夏・冬のワークキャンプです。90年代に仙台圏の青年会が始めたものを、形を工夫しながら継続しています。特に冬季の除雪ワークは一大スポーツです。
会場教会の新田恭平先生も、かつての常連キャンパー。教師検定試験と同時に招聘されました。何かと奇跡を起こしやすい体質ですが、彼だけではありません。普段教会に通わない学生の中にはキリスト教に疑問や反感を抱える者もいますが、キャンプ中に「本物」に触れ、教会に連なり、献身に至る例さえあります。
「ユルい」組織と表現しましたが、いい加減さが重要なわけではありません。隙を見せるからこそ、若者の側が受容してくれるのです。人間的に「スキマ」と見える要素は時として、主の御手が働く現場となります。
社会や学校に居場所のない若者も勉強や奉仕に熱心な者も参加しますが、格差や区別は生じません。互いに受容し、学び合います。そして「猪苗代は心の故郷!」と言って、他教区や台湾からも駆けつけます。感想文から声を拾うと、「親密さが醍醐味」、「テゼ風の新しい賛美と祈り」、「皆で作る心のこもったご飯」、「私を人間らしく戻してくれる」など真実がにじみます。
教会は若者に過多な要求をします。しかし、世間の若者が(無意識にせよ)求める要素と丁寧にすり合わせてこそ、豊かな実りが生まれます。若い魂に必要な養いが欠如するこの国で、私たちは主の御言葉に聞きつつ、祈りつつ、若者と共に歩みましょう。
(荒井偉作報)
北海教区全道教会青少年夏期キャンプ
芦別に十字架を、痛みからつながる恵み
8月11〜14日まで、芦別祈りの家と美馬牛福音伝道所を会場に、第35回北海教区全道教会青少年夏期キャンプ(通称:芦別キャンプ)が、会堂の老朽化の課題とコロナ禍を経て5年ぶりに開催された。道内外、SCF、宣教協約を結ぶ西東京教区、台湾基督長老教会から子ども、大人合わせて37名(部分参加含む)の参加者が与えられた。
1953年、芦別祈りの家は、北海道特別開拓伝道(北拓伝)によって芦別教会として炭鉱地に建てられたが、炭鉱の閉山と著しい人口減少に伴いわずか30年程で活動休止を余儀なくされた。
その後、北海教区のもと芦別キャンプとして若者たちによって修繕が加えられ維持されてきた。教区は北拓伝を痛みの歴史として捉え、そこから連帯が教区形成の柱の一つとして見出されてきた。若者たちと地域や教会の痛みの歴史、このキャンプを行う意義を共有することができたことは大きな意味があると感じる。
芦別キャンプは、ワーク主体のキャンプだ。痛んだ教会を自分たちの手で一つ一つ補修していく。ワークを通して参加者たちは心が開かれていき、教会も、参加者も神によってまた新たにされていくことを思う。
6月に芦別を訪れた際、十字架の横木が崩れ落ちていた。かつて芦別教会の故矢島信一牧師は「十字架は根本から折れるのではなく、まず横木から落ちる」とつながりを失った教会を表現した。十字架は神と人、人と人との関係を表すと言われる。コロナ禍によって、私たちはつながりが絶たれ、様々な弱さや格差、分断が浮き彫りにさせられた。芦別の十字架の横木が落ちるという形で、神からつながることへの問いかけを受けたように思う。
今回のキャンプで、十字架が再び掲げられた。芦別に集い、横木の落ちた十字架を見上げ、共に悩み、共に働き、もう一度つながろうとする私たちに、痛んだ芦別祈りの家の十字架にはイエス・キリストがおられ、多くの問いとたくさんの恵みを用意しながら芦別に建ち続けている。
キャンプを覚え、祈りの内に支えて、参加者たちを送り出してくださった方々に感謝。
(石田 歩報)