地域に奉仕する業として
三田こばと保育園園長
辰巳 晶子
1875年7月に創立された摂津三田教会。その附属保育園として、1957年9月より三田こばと保育園としてこの地での歩みを進めてきました。教会員の「地域社会への伝道と奉仕のため」という思いと社会からの強い要請があっての創設だと聞いています。2023年度には創立66年を迎えます。今手元に[創立五〇周年記念誌]があり懐かしく見返しています。懐かしい以前に私が生まれる前、保育園が開園した当時のことが書いてある文章が目に留まりました。『こばと保育園の設立にあたっては難題が山積していました。今のような保育園のニーズがない時代で、資金もなく(中略)。土蔵を大きく立ち上げたような薄暗い礼拝堂を遊戯室にするために窓と窓の間に同じ様な窓を作り明るい部屋にしたり、中略)。色々な問題を解決して手作りで温かい保育園の開園のめどがつき感謝でした』、『当時、教会が地域に奉仕する業として保育園を開設することになりましたが、運営していくことは経済的にとても苦しいものがあり、園長が報酬を保育園に献金するなど一人ひとりが園のために奉仕と祈りを捧げていました』。
今と違い〝乳幼児に対する〟福祉の取り組みもさほどされていなかった時代であろうその時代に、多くの方の祈りと奉仕により設立されたことを改めて感じます。三田市で(当時は三田村)初めての認可保育園がそのようにして誕生しました。今は幼い子ども(を持つ家庭)に対する取り組みも助成も整えられつつあります。その中で日々子どもと関わり、保護者の皆さんと共に成長を感じ、思いを共有し喜び合えるいい時代になっていると思う一方で、子どもを取り巻く社会の変化は必ずしもそれが子どもにとっていいことでもなく先行きに不安を感じてしまう現実もそこにはあります。
1985年から1995年には宅地開発が進み、人口急増期を迎えました。園児はいつも定員いっぱいで待機児童の数も多かったと思います。人口が増えるにつれ保育園の数も増えました。既に開所されていた公立の保育所が時代の流れと共に、民間の保育園に取って代わり今では公立保育所は一ヶ所だけとなっています。待機児童がいなくなったのは喜ばしいことですが、育児休暇の取得も充実してきたことにより、ここ数年は乳児の入園希望が減りつつあります。福音を宣べ伝えて行く保育園としての今後をどうすべきかが今の教会の課題でもあります。今、保育園は宗教法人ですが、社会福祉法人にという意見もあったりなかったり…。形態はどうであれ、保育園に集ってくる子どもとその背後にいらっしゃる保護者の皆さんに、少しでも神様のことを宣べ伝えていければとの思いをもって、祈りつつ保育を進めています。先日、第65回の卒園式を迎え、15名の子どもたちが巣立っていきました。どこかでいつか神様のことを思い出してくれると信じて‼